調査報告(石狩縄文)

令和6年9月11日・12日 ・・・ 肝冷斎1号が野球ノルマ中に、余市・小樽の縄文遺跡を調査した。われわれが一人でやっていると誤解しているみなさん、われわれは複数人ですからね。

9月11日(水) 余市側から探索。

〇フゴッペ洞窟(余市町)

昭和25年、中学生の土器片発見から調査が入り、国内二か所目の「線刻画」洞窟が発見された。1800年前の続縄文期のものと推定される。内部は写真禁止です。線刻を見ることは現地まで行ったものの特権なのだ。意外とでかいということが判明した。冬場は閉鎖されるのでご注意ください。

〇大谷地貝塚(余市町)

フゴッペの近くの平地にある。3500年前ぐらい、とのこと。

このあたりでこれ(中空土偶)が出たそうです。ホンモノは天理資料館にあるとのこと。

〇西崎山環状列石(余市町)

フゴッペから1~2キロ離れた尾根上にあります。七つのストーンサークルの集合体。一つ一つが埋葬施設になっているのではないかと推定されている。3500年ぐらい前の縄文時代。

西崎山から積丹方面を見る。

〇忍路環状列石(小樽市)

耕作地の間にあります。ストーンサークルは一つで、そのまわりに立石が多数あるのだと想像されます。ここも3500年前と推定される。

〇地鎮山環状列石(小樽市)

ストーンサークルの中央部に石敷があり、そこに何回かの埋葬が行われたと推定されています(燐分の検知による)。中央左の四角い穴が設置されている部分がそれに当たる模様。なお、これはストーンサークル一つだけですが、この尾根上にあと数か所ある、とのことです。縄文人が河海のほか尾根筋を移動していた、ということの傍証になるかも。紀元前3500年ごろ。

〇余市町水産博物館 ・・・ という名称ですが、縄文関係、町の模型など実によくできた博物館でした。市販されてないとのことですが、HPから入手できる「カド」カードゲームが魅力的。

「池田のバター飴」が現役かどうか気になるところ。

9月12日(木) まだほっつき歩いとるのか、と思うかも知れませんが、肝冷斎が行方不明に。またどこかに逃亡したようです。しかたないから一日ぐらい北海道にいて発見を待つか。その間に小樽市へ。

〇手宮洞窟

小樽市総合博物館(交通)の向こう側の崖にあります。

ここも内部は写真禁止。行かないと見れないよー。こちらは慶應二年に、相州の石工が建築用の石を探しに来て、洞窟内の線刻画を発見。その後、偽刻説、古代文字説(これに基づき、北川ミレイの「石狩挽歌」が作られている)でなど魅力的な議論が昭和前半までなされましたが、昭和25年のフゴッペ発見により、線刻画としてシャーマンと一部ドウブツの姿を描いたもの、とほぼ確定した。1800年前と推定される。
フゴッペより画の数やバリエーションは少ないが、意外と大きいです。

〇小樽市総合博物館 ・・・ 運河館には何度か行きましたが、こちらははじめて。マニア垂涎といわれるとおり、すばらしい。

ストロング号。牽引する列車に乗せてもらえるし、ターンテーブル、ポイント切り替え、連結など見学できる。石炭の匂いがしないので、汽車はおそらく内燃機関と思われる。

除雪車のみなさん。

貨物列車車列。車掌さん人形が寂しそうに乗っていて、夜中動いたりしていると思います。また、貨車の中に「道外禁止」マークの車両もあり、マニア垂涎。なお、わたしはマニアではありません。ただのファンです。

〇旧日本郵船小樽支店 

工部大学校第一期生の一人、佐立さんの現存する数少ない作品の一。重要文化財。

このあとぱんじゅうを買って、肝冷斎発見の報に、引き取りに函館へ。今日は函館泊です。

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