妄人也已矣(妄人なるのみ)(「孟子」)
ダメなやつはもうほっときましょう。(・∀・)ニヤニヤ

おれも一般イヌネコ扱いかにゃー?
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戦国の時代のことですが、
君子以仁存心、以礼存心。仁者愛人、有礼者敬人、愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之。
君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬い、人を愛する者は人恒にこれを愛し、人を敬う者は人恒にこれを敬う。
よき人は、仁という観点から自分の心を考え、礼という手法で自分の心を考える。仁の観点からすれば人を愛することが求められ、礼の手法を身に着けていれば人を敬うことになるが、人を愛する人は必ず人から愛され、人を敬う者は必ず人から敬われるものである。
さて、
有人於此、其待我横逆、則君子必自反也。我必不仁也、必無礼也。此物奚宜至哉。
ここに人有りて、その我を待つこと横逆なれば、すなわち君子は必ず自ら反す。我必ず不仁なり、必ず無礼なり、この物、なんぞ至るべけんや、と。
とある人がいて、その人がわたしに対して横柄で逆らってくるとする。この時、わたしがよき人ならば、必ず自分自身を反省するはずだ。「わしに仁の心がなかったのであろう。わしに礼に外れた行為があったのであろう。そうでなければ、このような対応がなされることになるはずがない」と。
そこで「うんうん」と考えました。
其自反而仁矣、其自反而有礼矣矣。其横逆由是也、君子必自反也。
その自から反りて仁なり、その自ら反りて礼有り。その横逆これに由らば、君子必ず自ら反す。
考えたけれど、自分で反省しても仁であるし、自分で反省しても礼に外れていない。それなのに相変わらず横柄で逆らうのであれば、よきひとはまた必ず自分自身を反省する。
我必不忠。
「我必ず不忠ならん」と。
「わたしは(仁の心はあったのだが)真心を以て対応してなかったのだろう」と考える。
そこで、また「うんうん」考えたが、
自反而忠矣
自ら反りても忠なり。
自分自身を反省してみても真心を以て対応している。
それでも、
其横逆由是也、君子曰、此亦妄人也已矣。
その横逆これに由るならば、君子曰く、「此れまた妄人なるのみなり」と。
それなのに相変わらず横柄で逆らうのであれば、よき人は言う、「こいつはどうやらまともな人ではないぞ」と。
そして、
如此則与禽獣奚択哉。於禽獣又何難焉。
かくの如ければすなわち禽獣と奚(なん)ぞ択ばんや。禽獣において、また何か難あらん。
「こんなのであれば、鳥やケモノとどこに違いがあるのだ。鳥やケモノに対して、何か文句を言ってもしようがない(のだから、こいつらにはもう関わらないでおこう)」
ということで解決できました。
よき人はこんな人間関係には悩まない。君子には悩み事は一つしかないんです。それは・・・(以下、また今度)。
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「孟子」離婁下篇より。孟子らしい断定です。ほんと、ドウブツや鳥が悪さしてもしようがないですよね。目に余れば棒でうちすえればいい。あ、そうか、だからえらい人たちはおれたちを・・・。
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