団団如磨驢(団団として磨驢の如し)(「東坡詩集」)
何年経っても進みません。

ぐるぐる回ると楽しいという考え方もあるよ!
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北宋のころのことですが、
伯父送先人下第帰蜀詩云、人稀野店休安枕、路入霊関穏跨驢。
伯父の先人の下第して蜀に帰るを送る詩に云う、「人の野店に稀れなるも安枕するを休(や)めよ、路の霊関に入らば驢に跨るも穏やかならん」と。
作者の親父(死んだ親父のことを「先人」といいます)を蘇洵(そ・じゅん)と言います。その兄貴(すなわち作者の伯父貴)を蘇渙(そ・かん。同じサンズイ偏がつきますね)といい、この伯父は進士の試験に合格していた。
親父が試験を受けに都まで来て(ということは地方試験は合格していたということになります)、不合格で郷里の蜀に帰ることになったときに、その兄貴が詩を作って送ってくれた。全体がどうなっていたか、いまではわかりませんが、その中に印象深いに二句があった。
旅の途中の宿屋にひとがあまりいないから、といって長逗留などするでない。
蜀の入り口である霊関から向こうにいけば、ロバの背中に乗っていても穏やかに行けるだろう(から、早めに蜀に入るように)。
蜀=四川省はいろいろ特徴のある地方なので、その出身者はその地をずいぶん大切に思っていた。九州出身のひとが関門海峡を抜けると、突然饒舌になった、というのと一脈通ずるところがございましょう。
安節将去為誦此句、因以為韻作小詩十四首、送之。
安節のまさに去らんとするに、ためにこの句を誦し、因りて以て韻と作して小詩十四首を作り、これに送る。
「安節」というひとがよくわからないのですが、作者が処罰を受けて安徽の黄州に飛ばされたのについてきてくれた若い者、で、蜀が郷里で、おそらく作者と親戚筋のひとだろう、と想像しておきます。
安節がここ黄州から蜀に帰ろうとしているので、この二句を朗誦して、早く慣れ親しんだ蜀に入るように言い聞かせた。そこで、この十四文字を韻字(二句目と四句目の最後の文字に同じ音の文字を使う)にして、十四の小さな詩を作って、送別にすることにした。
というんです。
十四首全部書き出すと疲れるので、第十四番目の最後の詩、「驢」の字を韻にしたものを紹介します。
万里却来日、一庵仍独居。
万里却って来たるの日、一庵なお独居せん。
万里の旅に出て、またおまえがこちらにやってくることがあれば、
わしはまだ小さな庵を一つ結んでひとり住まいでいることだろう。
応笑謀生拙、団団如磨驢。
まさに笑うべし、生を謀ることの拙にして、団団として磨驢の如くなるを。
それを見て笑うことになると思うよ、わしは生き方がヘタなので、
まるいところぐるぐる回る粉ひきのロバによう(に何の進歩もしてないの)だ、と。
臼を回して粉をひくのには、牛も使われますが、ここは押韻の関係で「ロバ」にしたようです。「居」と「驢」が韻を踏んでいることになります。
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宋・蘇東坡「送安節小詩十四首」より。ぐるぐる回るばかりでほんと人生何も進みませんね。回っているうちに知っている人がどんどん彼岸に行きます。速度の速いひとほど遠心力が働くという一面もある。
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