流伝之誤(流伝の誤りなり)(「墨余録」)
岡本全勝さんによると、こんな事業もあるみたいですが、祀られるのが一番。

川流れ中でカッパ。助けてくれたら祀るでカッパ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代(清末)から見るともう三百年も前になりますが、明の嘉靖年間(1522~66)のころ、我が上海に、
有馬勝者。口操北音、而未詳其籍、身短微髭、業操舟、結廬浦江東。人咸呼為馬矮子。
馬勝なる者有り。口に北音を操るも、その籍をいまだ詳らかにせず、身短にして髭微(な)く、業として舟を操り、廬を浦江の東に結ぶ。人みな呼びて「馬矮子」と為す。
馬勝という人がいたんじゃ。華北の方言をしゃべっていたそうだが、どこの生まれかよくわからない。身長が低く、ヒゲが無いのが特徴で、小舟を操って海辺の仕事をこまごまとしながら、浦江の東に粗末な小屋を建てて暮らしていた。ひとびとは彼のことを(尊敬を込めて)「ちびの馬だんな」と呼んでいた。
なぜ尊敬されていたかというに、
素習水性、洪濤巨浪中、能伏経時。
もと水に習うの性にして、洪濤巨浪の中に、よく伏して時を経る。
生まれつき水に慣れているらしく、巨大な波浪の寄せる中でも、舟に乗って何時間でもじっとしていられた。
そして、その特技を生かして、
毎遇大風海溢、必棹小舟巡視浦濱、救援覆溺、而不索酬、人咸徳之。
大風海溢に遇うごとに、必ず小舟に棹して浦濱を巡視し、覆溺を救援して、酬うるを索(もと)めず、人みなこれを徳とせり。
暴風や高潮のたびに、必ず小舟を出して海岸を巡視し、転覆した舟や溺れている人を救助した。しかも、彼は謝礼を求めなかったのである。救われた人も、そのことを聞いた人も、みな彼のことをありがたがった。
本人は、荒れた海を漕ぎまわれる特技を持っているのは、それを使って人助けをしろ、と海の神さまが命じておられるのだろう、とのことで、謝礼を受けるようなことではない、というのである。
死後、里人即其居処、掘地営葬、呼為矮子墳。
死後、里人その居処に即(つ)きて、地を掘りて葬を営み、呼びて「矮子墳」と為せり。
亡くなった後、(葬儀を行うような家族はいなかったが、)地域の人たちは、彼の棲んでいた小屋のところを掘ってその亡骸を埋め、その場所を「ちびだんなの墓」と呼んだ。
毎年、お祀りをして、その徳を偲び、海の平穏を祈ったのである。
ところが、それから300年、
今之以矮為倭者、云係倭寇積骸処、乃世俗流伝之誤也。
今の矮を以て倭と為す者、云いて倭寇の骸(むくろ)を積む処に係る、すなわち世俗の流伝の誤りなり。
現代(清末)では、「矮」の字を「倭」としてしまい、「倭寇を殺して死骸を埋めたところだ」と言っているのは、世俗の愚かものたちの伝承の誤りである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・毛祥麟「墨余録」巻十五より。いい人のお墓だったのに、倭寇にされてしまうとは。だいたい嘉靖の後期倭寇だから日本あんまり関係無いです。
どうせなら、死後、村人に祀ってもらえるような人間をみなさんには目指してほしいのじゃ。
コメントを残す