譬於狗豨(狗と豨(き)に譬う)(「墨子」)
どちらかというとぶたの方に感情移入する。

自分より弱い相手とは戦う主義でぶー。
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戦国のころのことですが、
子夏之徒問於子墨子。
子夏の徒、子墨子に問う。
孔子の弟子の子夏の学派のやつが、墨子先生に質問した。
ふっかけてきたんです。
君子有闘乎。
君子に闘うこと有りや。
「(先生の学派は非戦論を唱えておられるが)どんな立派な人でも、戦わねばならない時がありますよね。
かっこいい質問ですね。
墨子先生は答えた、
君子無闘。
君子、闘うこと無し。
立派な人は、戦わないよ。
戦わねばならない時など、彼らにはないのだ、というのです。
「いや・・・」
子夏の徒は困ったような顔で言った、
狗豨有闘、悪有士而無闘矣。
狗や豨(き)すら闘う有り、いずくんぞ士にして闘う無き有らんや。
狗(く)は「いぬ」、「豨」(き)は「大いのしし」です。しかし、ここではイヌと並べて、人間に飼いならされているイノシシ、すなわち「ぶた」のことを言っているようです。
「イヌやブタでも戦うときは戦うではありませんか。どうしてサムライのくせに、戦うべき時にも戦わない者がいますか」
墨子先生は言った、
傷矣哉。
傷ましきかな。
「なんとかわいそうなことか」
「はあ?」
言則称於湯文、行則譬於狗豨。傷矣哉。
言には湯・文を称(たた)うれども、行は狗・豨に譬う。傷ましきかな。
「コトバでは(孔子の弟子の弟子として)古代の聖人、湯王や文王を称賛していながら、行動はイヌやブタの真似をしているとは、なんとかわいそうなことか!」
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「墨子」耕柱篇より。わたしどももみな、いつもぶたのように食い、イヌのように尻尾を振っております。かわいそうです。しかし湯王や文王は称賛せず、どちらかというとイヌやぶたを称賛していますから、これなら墨子先生もご納得かな。
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