9月1日 何にでもチャレンジしてみよう

啖石為飯(石を啖(くら)いて飯と為す)(「池北偶弾」)

毎日大したもの食べてないのにおなかが張ってしようがありません。内臓脂肪が分厚いのでしょう。石や土でも食ってみるか。土は食えそうですが石は難しいかも。

「なんでも食べるでぶー」「負けないでぶー」茶わんも箸も食われて行くのだ。

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仙人煮石、世但伝其語耳。

ところが、この大清帝国の現代に、実際に石を食っていた人がいるのである。しかも身近にいたのだ。

予家傭人王嘉禄者、少居労山中、独坐数年、遂絶烟火、惟啖石為飯。渇即飲渓澗中水。

そんな生活をしていたら、

遍身生毛長寸許。

後以母老帰家。漸火食毛遂脱落。

そうである。

然時時以石為飯。毎取二石映日視之、即知其味甘鹹辛苦。

実際に石を齧っているのを見たことはないが、こんなことがあった。

以巨桶盛水掛歯上、盤旋如風。

その歯の強いことかくの如くであったから、石ぐらい食えたであろう。

残念なことに、

後母終、不知所在。

それ以上のことは聞き出せなかったのである。

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清・王士禎「池北偶談」より。これも清の大文人・漁洋山人・王士禎の著書です。同書は十年以上前に先々代の肝冷斎が夢中になって読んでいて、ずいぶんの章を紹介しておられたと記憶しますが、この石を食う話はたいへん印象的なのですが覚えてないので、初めて紹介するのかも知れません。おなかが減ってもあまり真似しない方がいいかも知れませんが、ほんとに減ったら食っちゃうよね。

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