啖石為飯(石を啖(くら)いて飯と為す)(「池北偶弾」)
毎日大したもの食べてないのにおなかが張ってしようがありません。内臓脂肪が分厚いのでしょう。石や土でも食ってみるか。土は食えそうですが石は難しいかも。

「なんでも食べるでぶー」「負けないでぶー」茶わんも箸も食われて行くのだ。
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仙人煮石、世但伝其語耳。
仙人石を煮る、世にただその語を伝うるのみ。
仙人は石をぐつぐつと煮て服用し、不老長生するのだというが、世間ではそんな話が伝承されるだけで、実際に見た者はいない。
ところが、この大清帝国の現代に、実際に石を食っていた人がいるのである。しかも身近にいたのだ。
予家傭人王嘉禄者、少居労山中、独坐数年、遂絶烟火、惟啖石為飯。渇即飲渓澗中水。
予家の傭人・王嘉禄なる者、少(わか)くして労山の中に居り、独坐すること数年、遂に烟火を絶し、ただ石を啖(くら)いて飯と為す。渇すれば即ち渓澗中の水を飲む。
わが家で雇っている王嘉禄という人物は、若いころは労山に籠って暮らしていたそうで、一人でじっと座って数年暮らし、とうとう火を使って料理するのを止めてしまって、ただ石だけをごはんとして食っていた。のどが渇くと谷川の水を飲んでいたのだ。
そんな生活をしていたら、
遍身生毛長寸許。
遍身に毛を生じ、長さ寸許(ばか)りなり。
体中に毛が生えてきた。毛の長さは3センチぐらいになった。
後以母老帰家。漸火食毛遂脱落。
後、母の老ゆるを以て家に帰る。漸くに火食して毛遂に脱落す。
その後、老いた母親が心配になって、実家に帰った。実家で火を通したふつうのものを食っているうちに、だんだんと毛が抜けてしまった。
そうである。
然時時以石為飯。毎取二石映日視之、即知其味甘鹹辛苦。
然るに時々に石を以て飯と為す。つねに二石を取りて日に映してこれを視、即ちその味の甘・鹹・辛・苦を知る。
とはいえ、わが家にいたころも、時々を石をごはんにしていた。いつも二つの石を手にして、これを日光にかざす。そうすると、その石の味が、甘いか塩辛いか辛いか苦いか、わかるのだという。
実際に石を齧っているのを見たことはないが、こんなことがあった。
以巨桶盛水掛歯上、盤旋如風。
巨桶を以て水を盛りて歯の上に掛けて、盤旋すること風の如かりき。
大きな桶に水をいっぱいにいれて、(桶の把手を)歯に引っ掛けて(要するに把手を噛むのであろう)、ぐるぐると風のように速く振り回したのである。
その歯の強いことかくの如くであったから、石ぐらい食えたであろう。
残念なことに、
後母終、不知所在。
後、母終わりて、所在を知らずなりぬ。
その後、御母堂が亡くなると、どこに行ったかわからなくなった。
それ以上のことは聞き出せなかったのである。
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清・王士禎「池北偶談」より。これも清の大文人・漁洋山人・王士禎の著書です。同書は十年以上前に先々代の肝冷斎が夢中になって読んでいて、ずいぶんの章を紹介しておられたと記憶しますが、この石を食う話はたいへん印象的なのですが覚えてないので、初めて紹介するのかも知れません。おなかが減ってもあまり真似しない方がいいかも知れませんが、ほんとに減ったら食っちゃうよね。
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