浮于水上(水上に浮かぶ)(「拾遺記」)
二百十日、水害で水に浮いてしまったところもあるのでは。

ほんとにキケンです。
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長江中流域に広がるチャイナ最大の湖・洞庭湖の湖畔には、まるで湖から直接立ち上がったかのように聳える洞庭山という山があります・・・といっても実見したことがないので、ほんとは札幌の時計台ぐらいの高さかも知れません。いずれにしろよくわからないので識者の批正を俟つ。
むかしのひとは、
洞庭山浮于水上、其下有金堂数百間。
洞庭山は水上に浮かび、その下に金堂数百間有り。
洞庭山は実は水の上に浮かんでいるのである。その下には、黄金で作られ、数百の部屋のある巨大な建物がある。
と考えていた。「らしい」ではなく断言です。
そして、
玉女居之、四時聞金石糸竹之声、徹于山頂。
玉女これに居りて、四時、金石糸竹の声聞こえ、山頂に徹す。
そこには仙女たちがおるのじゃ。(ひひひ。彼女らは現世の妓女のように仙人たちに侍って、楽器を演奏しており、)年間のどの季節にも、鐘(金属)、磬(石製)、琴(糸)、笛(竹)の音が(地下の金堂から)洞庭山の山頂まで通り抜けて聞こえてくるのである。
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後秦・王子年「拾遺記」より。むかしの人らしいわかりやすい妄想です。分かりやすい分、後世の人たちにも大きな影響を与えてきました。
巴陵一望洞庭秋、日見孤峰水上浮。
巴陵一望す洞庭の秋、日に見る孤峰の水上に浮かべるを。
隋の巴陵県(唐の岳州)から洞庭湖一帯の秋の景色を見渡すことができる。
いつも見えるのは、独立峰の洞庭山だ。湖の水の上に浮かんでいる(かのようだ)。
その山の下には仙人たちの宮殿があるというが、
聞道神仙不可接。心随湖水共悠悠。
聞くならく、神仙は接すべからずと。心は湖水に随いてともに悠悠。
伝えられるところでは、仙人たちには出会うことはできないらしい。
まあ、いいや。心は湖の水と一緒に、遠く遥かに君を思おう。
このかっこいい詩は、唐の張説さまの「送梁六自洞庭山作」(梁六を洞庭山より送りて作る)という七言絶句です(「唐人絶句精華」所収)。「梁六」は宿六みたいですが、梁知微という立派な役人です。張説さまは玄宗を助けて開元の治をもたらした名宰相ですが、宰相として召喚される前、玄宗治世の初めには岳州に左遷されていた。そのころの作品です。
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