8月27日 どこかに二重基準があるかも

独耕不輟(独耕して輟めず)(「後漢書」)

テレビも新聞も読みませんので、世間の動きは岡本全勝さんのHPでしかわかりませんが、お隣が二重基準になってるだろうことは、なんとなく想像がつきます。

「独耕老父」と「独眼竜」のゴロ合わせだけでわしを登場させるとは、二重基準では?

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後漢・桓帝(在位146~167)の延熹年間(158~167)のこと、帝は都・洛陽から南に巡幸され、雲夢沢を経て沔(べん)水のほとりにお出ましになられた。

田舎では見たこともないような大変豪華な行列であり、水辺では水神を祀る儀式なども行われた。

百姓莫不観者、有老父独耕不輟。

尚書郎の張温はこれを不思議に思い、

使問曰、人皆来観、老父独不輟、何也。

「ふん」

老父笑而不対。

「笑って相手にしませんぞ」

使いの者がそのように伝えると、張温は顔つきを替えて、

下道百歩、自与言。

すると、老父は言った、

我野人耳、不達斯語。請問天下乱而立天子邪、理而立天子邪。立天子以父天下邪、役天下以奉天子邪。

昔聖王宰世、茅茨采椽、而万人以寧。今子之君、労人自縦、逸游無忌。吾為子羞之。子何忍欲人観之乎。

と。

温大慙、問其姓名、不告而去。

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「後漢書」巻七十三「逸民列伝」より。この人も賢者だから、テレビも新聞も無くて見物に来られなかったのでしょう。こういう公益通報みたいなことをして姓名なんか告げたら、どんな罪にやられるかわかったもんではありませんから、告げずして去るしかありません。

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