独耕不輟(独耕して輟めず)(「後漢書」)
テレビも新聞も読みませんので、世間の動きは岡本全勝さんのHPでしかわかりませんが、お隣が二重基準になってるだろうことは、なんとなく想像がつきます。

「独耕老父」と「独眼竜」のゴロ合わせだけでわしを登場させるとは、二重基準では?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後漢・桓帝(在位146~167)の延熹年間(158~167)のこと、帝は都・洛陽から南に巡幸され、雲夢沢を経て沔(べん)水のほとりにお出ましになられた。
田舎では見たこともないような大変豪華な行列であり、水辺では水神を祀る儀式なども行われた。
百姓莫不観者、有老父独耕不輟。
百姓観ざる者莫(な)きに、老父の独り耕して輟めざる有り。
人民たちはみんな黒山のようになってその行列や行事を見物に集まってきたのだが、その中で、老人が一人だけ、耕作を続けていた。
尚書郎の張温はこれを不思議に思い、
使問曰、人皆来観、老父独不輟、何也。
問わしめて曰く、「人みな来観するに、老父独り輟めざるは、何ぞや」と。
人を遣わして、「ひとはみな来て見物しておりますぞ。おじいさんだけ耕作を止めようともしないのは、何故ですかな」と訊かせた。
「ふん」
老父笑而不対。
老父笑いて対せず。
じじいは笑って相手にしなかった。
「笑って相手にしませんぞ」
使いの者がそのように伝えると、張温は顔つきを替えて、
下道百歩、自与言。
下道すること百歩、自らともに言えり。
車から降りて百歩ほど歩き(だいぶん手前で降りたのである)、自ら老人に話しかけた。
すると、老父は言った、
我野人耳、不達斯語。請問天下乱而立天子邪、理而立天子邪。立天子以父天下邪、役天下以奉天子邪。
我、野人なるのみ、斯語に達せず。請い問う、天下乱れて天子を立つるや、理(おさ)まりて天子を立つるや。天子を立てて以て天下に父たるや、天下を役して以て天子に奉ずるや。
「わしはこのようにただの田舎者じゃ。何をおっしゃっているのかよくわからん。逆に教えてくれんかな、天下が乱れた時に天子を立てるのか、天下が治まった時に天子を立てるのか。天子を立てて、それによって天下に父のような慈愛を注ぐのか、天下から搾取して天子に富を捧げるのか。
昔聖王宰世、茅茨采椽、而万人以寧。今子之君、労人自縦、逸游無忌。吾為子羞之。子何忍欲人観之乎。
昔、聖王の世を宰するに、茅茨にて椽を采(と)りて万人以て寧らかなり。今、子の君は人を労して自ら縦ままにし、逸游忌む無し。吾、子のためにこれを羞ず。子何ぞ人のこれを観るを欲するを忍びんや。
むかし、聖なる王者・堯や舜さまが世の中を治めなすった時には、茅やいばらで屋根を葺き、屋根のたるきは切っただけで長さを揃えもしなかった。かくしてすべての民は安寧に暮らせたという・・・なのに、今の天子さまは人を困らせて自分は好き放題、ふらふら旅に出てこんなところまで来ても悪いとも思っておられないようじゃ。わしは、おまえさんのために残念でならない。おまえさんは、主君が恥ずかしいことをしているのを、百姓どもに見られているのに、よく平気でいられるものじゃなあ」
と。
温大慙、問其姓名、不告而去。
温大いに慙じ、その姓名を問うに、告げずして去れり。
張温は大いに恥ずかしくなって、その人の姓名を問うたが、告げずにどこかに行ってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「後漢書」巻七十三「逸民列伝」より。この人も賢者だから、テレビも新聞も無くて見物に来られなかったのでしょう。こういう公益通報みたいなことをして姓名なんか告げたら、どんな罪にやられるかわかったもんではありませんから、告げずして去るしかありません。
コメントを残す