8月26日 台風予報も皮一枚ぐらいずれていく

不中為奇(中(あた)らざるを奇と為す)(「燕書」)

だいたい同じ年ごろである。

わし(越後の縮緬問屋の御隠居)も設定では同じぐらいの年だったはず。みんな若作りしおって。

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五胡十六国の一、前燕の烈祖・慕容儁(ぼよう・しゅん。在位348~359)は、新たに降ってきた賈堅が弓を善くすることを聞いた。そこで、

親試之、乃取一牛置百歩上、召堅使射。

当時の一歩≒1.5メートルぐらいですから、100歩上は150~160メートルぐらい離れたところです。

賈堅が参上すると、烈祖は訊いた、

能中之乎。

賈堅は言った、

少壮之時能令不中、今已年老、正可中之。

「ほう」
烈祖はその言葉に粛然としたが、
「わはははは」
横で聞いていた権臣・慕容恪は、大笑いした。

賈堅は命じられた通り、弓をつがえ、無言で発した。

一矢払脊、再一矢摩腹、皆附膚落毛、上下如一。

(見事じゃ)

烈祖は立ち上がって賈堅に賞賜しようとしたが、それより早く慕容恪が賈堅に言った、

復能中乎。

賈堅は言った、

所貴者以不中為奇、中之何難。

また矢をつがえると、

一発中之。

「モー」

なむあみだぶつ。

賈堅時年六十余矣。観者咸服其妙。

あとでその弓を確認したところ、

弯弓三石余。

一石は量の単位にもなりますが、重さの単位としては、この時期は27キログラム弱、三石余≒90キログラムぐらい、でしょうか。たいへんな怪力であった。

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烈祖問堅年、対以受新命始及三歳。

烈祖悦其言、拝楽陵太守。

その後、晋に攻められて戦死しました。

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