観タマ記+調査報告 令和6年8月25日

令和6年8月25日(日)1200(1157)~1457 ちゅ~るスタジアム清水
ウエスタンリーグ くふうハヤテベンチャーズ静岡対廣島東洋カープ
廣島 602 000 141   14
静岡 000 000 300    3
主審 松本  一塁 宮武  三塁 坂本

ダブルヘッダーは疲れるのでここまで来たらダブルの対象はないだろうと静岡ちゅ~るスタジアムに来ました。東京からだと静岡から清水に戻って、そこからが遠い。前回は2時間ぐらいかけて歩きましたが、今回は試合開始が12時と早いので、清水駅からタクシー。う~ん、というぐらいかかったが、ここまでの電車賃に比すれば安いものだ。
前日、くふうハヤテが4点差ひっくり返して最終的にはサヨナラ勝ちをしたそうですが、今日は最初に6点取られてしまい、その後もどんどん取られました。15安打。池谷が投げている3イニングは1安打だけで点取られてないんですが。打者で目立ったのは3安打の内田、2安打の林、韮澤、ロベルト、高木でしょうか。途中出場の清水がホームラン。松山が出てましたが3打席もらってヒット一本以外は内容よくないですね。
廣島は高が先発。七回3失点。そのあと矢崎⇒赤塚。ハヤテも10安打打ってて、ライナー性のヒットが多い。赤塚が力のあるタマを投げていましたが、そのタマしか投げていない(球種がない)ような気がします。まだまだ時間かかるんでしょう。

到着。前回は帰りがけにネコを見かけたので、あわよくば・・・と思ってエサ持ってきました(ちゅ~る含む)が、売店のひとに聴いたら「もういない」とのことでした。そうか、もうここに来る必要はないな。

今日は清水市立高校の子らが応援団・チアー・吹奏楽を出してくれてました。レベル高いです。先生も大変だなあ。

前回食べすぎた記憶があって、今回はかなりセーブして二品目は減らしたはずですが、それでも「しぞーかおでん」「静岡たこ焼き」、矢印の「末廣亭弁当」を入手してしまう。とりあえず「末広亭弁当」は帰りの新幹線で晩飯として食べることにしよう。

山の中の球場なので遮るものなく空が見える。高校生の演奏を聴いたので、50年も前の夏のこととか思い出した。すみません、すみません、すみません、と謝るしかない恥ずかしい思い出ばかりである。あの雲にはいろいろ忘れ物をしているなあ。

三塁側に移ってみます。カープファンが応援しているのはいいのですが「よみうり倒せー」は無いだろう。相手へのリスペクトとかここのファンは持たないのか。

イニングインターバルに荷物を枕にして寝転んだら「ばきばき」という音が。頭の重みで末広弁当の箱が壊れてしまいました。しかたがないので、食ってしまいます。

試合終了だ。シャトルバスがあるとのことだがなかなか来そうにないので、歩いて帰ります。ネコのいないところなどおさらばだぜ。

帰り道に、四月(いほはら国探索)に寄れなかったところに寄っていきます。

8月25日調査報告(庵原)

〇二宮豊由気神社 ・・・ 郷社です。二宮と称しているのは日本武尊東征の際、安倍郡に天照大神を招請し、こちら(庵原)に豊受大神をおよびしたので、アマテラスが一宮でこちらを二宮と称したとのことです。

晩夏の昼下がり、村には人影もなく、セミの声ばかりが聞こえていました。もう何年(何十年?)も忘れていた光景でしたわい。

〇庵原山一乗寺 ・・・ 曹洞宗です。今川氏・武田氏のもとで庵原を支配した朝比奈氏が建立。朝比奈氏のお墓もあります。

朝比奈氏のお墓もありました。天正年間に滅んでから200年後に建てたとのこと。

〇清水秋葉神社 ・・・ 宿坊などもあって今も強い信仰があるようです。 

正面の石段を昇ったんですよ。

〇矢倉神社 ・・・ 秋葉社から森が見えたので行ってみた。日本武尊東征の際の武器庫であった、との伝承があります。戦前には県知事からも奉幣があったという。

静かな境内です。右端の切れたあたりの木陰に日本武尊の石像あり。そのさらに裏にくすのきの御神木あり。左手の方に稲荷社あり。

清水駅に戻り、静岡駅に戻り、駅弁買って食って帰りました。体が重い。

明日は出勤か。
西方に友あり晩夏のガラス玉 (野呂田芳正)
50年前に覚えたハイクをまだ思い出せた。

明日からの週は台風で観タマが全滅の可能性も・・・。まあ今月のノルマ的なものは十分こなしてるから安心ですが。

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