不可無也(無かるべからざるなり)(「袁氏世範」)
要らないものがだんだん増えてきていますが。

この中に要るものはありますか。欲しいものは? やはりカネか。
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宋の時代のことですが、
飲食、人之所欲、而不可無也。非理求之、則為饕為饞。
飲食は人の欲するところにして無かるべからず。理に非ずしてこれを求むれば、則ち饕(とう)と為し饞(さん)と為さん。
飲み食いは誰もが欲しがり、無いわけにはいかないものである。しかし、しかるべきルールを外れてこれを求めるならば、異常な過食といわれ、むさぼっているといわれることであろう。
そうですか。確かに放っておくと満腹中枢の弱い人は、本人が気持ち悪くなるぐらい食べてしまいますね。今日も・・・
男女、人之所欲、而不可無也。非理狎之、則為奸為濫。
男女は人の欲するところにして無かるべからず。理に非ずしてこれに狎るれば、則ち奸と為し濫と為さん。
男と女のことは誰もがやりたがり、無いわけにはいかないものである。しかし、しかるべきルールを外れてこれとやろうとするならば、不倫だとされ、あまりにやりすぎだといわれることだろう。
なるほど。でも、まあ、これはもういいや。
財物、人之所欲、而不可無也。非理得之、則為盗為贓。
財物は人の欲するところにして無かるべからず。理に非ずしてこれを得れば、則ち盗と為し贓と為さん。
カネとモノは誰もが欲しがり、無いわけにはいかないものである。しかし、しかるべきルールを外れてこれを手に入れようとするならば、盗みだとされ、横流しだといわれることだろう。
カネとモノもですか。
人惟縦欲則争端啓、而獄訟興。聖王慮其如此、故制為礼、以節人之飲食、男女、制為義以限人之取与。
人はただ欲を縦ままにせば争端啓かれ、獄訟興る。聖王そのかくの如くなるを慮り、故に制して「礼」を為し、以て人の飲食・男女を節し、制して「義」を為し、以て人の取と与を限る。
人間というものは、欲望のままにしておけば、闘争が開始され、民事刑事の裁判が必要になるものなのである。そこで、古代の聖天子たちは、人間がそういうものであることをよくよく考えて、「しきたり」を作って、飲み食いや男女の間のことに節度を持たせ、「道義」を作って、自分の所有と他人の所有の区別をつけたのである。
君子于是三者、雖知可欲、而不敢軽形于言、況敢妄萌于心。小人反是。
君子のこの三者における、欲すべきを知るといえども、敢えて軽々しくは言に形(あら)わさず、いわんや敢えて心に妄りに萌さんや。小人はこれに反す。
立派な人は、この三つの分野については、欲しがらないわけにはいかないと認識しているとしても、あえて軽々しくコトバにすることがあってはならない。いわんや、心に変なことを考えてはいけませんぞ。そんなやつはダメなやつじゃ。
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南宋・袁采「袁氏世範」巻二「処己」(自分をコントロールするの章)より。宋代の人が子孫に遺した「おやじのひとり言集」ですが、時代を超えて一片の真理を含んでいるといえ・・・ませんね。少なくとも三番目は、資本主義の道を選んだからにゃ、無限に欲望せねばならないのが我らの定めとされている。
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