去去不可追(去り去りて追うべからず)(「魏武侯集」)
あんまりに眠くてPCの前で寝てました。少年時代も机の前でいつも寝てたなあ・・・ふと起きて我に返ってしまいました。ああ、まだ今日の更新をしなければならない。ノルマを果たさなければならないのだ。もうずっと寝ていたらよかったのになあ。

余生はハイクでも作ることにする?
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昨日の「その三」では仙人のじじいと会うまぼろしを見ていた曹操さまだが、ふと我に返ったようだ。
去去不可追、長恨相牽攀。
去り去りて追うべからず、長しえに相牽攀せんと恨む。
行ってしまって追いかけることもできない。長く引き寄せておきたいと思うのだが。
結局またひとりになった。
夜夜安得寐、惆悵以自憐。
夜夜にいずくんぞ寐ぬるを得ん、惆悵して以て自ら憐れむ。
毎晩毎晩どうしてぐっすりと寝ることができようか、あれこれと考えて自分を慰めているのだ。
次に謎の十六字があります。
正而不譎乃賦依因経伝所過西来所伝。
吉川幸次郎先生が「難解の句を含むので、充分には訳せない」(「中国詩史」)とおっしゃっているのですからしろうとに読めるはずがないので放っておきます。同じ字があったりして何か錯簡がありそうだぞ。
歌以言志、去去不可追。
歌いて以て志を言わん、去り去りて追うべからずと。
うたを歌って思うところを伝えよう、行ってしまって追いかけることもできないのだ、と。
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後漢・曹操「秋胡行」(秋のえびすのうた)其四。これで連作は終わりです。
いったい一代の英傑・曹操さまが追いかけようとしていたものは何なのであろうか。「老賢者」は彼自身の無意識の中から現れて方向性を指し示す者であって、その人自身が追い求めるものであるはずはない。
別の「歩出東西門行」(歩きて東西の門を出づるの行(うた))にこんなことを言ってます。
神亀雖寿、猶有竟時。騰蛇乗霧、終為土灰。
神亀は寿なりといえども、なお竟(お)わるの時有り。騰蛇は霧に乗ずるもついには土灰と為る。
神秘的なカメは命が長いというけれど、それでも終わる時はあるだろう。
飛びあがるヘビ(=龍)は霧に乗って空に昇るというが、最後は土や灰になって朽ちていく。
意外と科学的ですね。
老驥伏櫪、志在千里。烈士暮年、壮心不已。
老驥(ろうき)は櫪(れき)に伏すも志は千里に在り。烈士は暮年なれども、壮心已まず。
老いた駿馬は馬小屋の横木に頭を垂れて寝ているようだが、千里の彼方のことを夢みている。
烈しい心のサムライは、晩年といえども、やってやろうという気持ちはなくならない。
かっこいいですね。
「老驥櫪に伏すも志千里に在り」は老いてもなお強い野心を持つ、ことの譬喩として有名です。しかし、その「野心」とは何なのだろう。赤壁に敗れて断念した、見果てぬ中土統一の夢・・・だったというふうに解釈していいのでしょうか。
その後を続けて読んでいくと、
盈縮之期、不但在天。養恬之福、可得永年。幸甚至哉、歌以詠志。
盈縮の期はただ天に在るのみならず。養恬の福は、永き年を得べけん。幸いの甚だしく至れるかな、歌いて以て志を詠(うた)わん。
長い・短いの(人生の)期間は、ただお天道さまだけが決めることなのであろうか。
何ものにも束縛されない恬淡たる心を養っていれば、それによって寿命を長くする幸福を得ることができるかも。
(そうなれば)たいへんなシアワセが訪れることになるなあ。うたを歌って思うところを歌おう。
と言って、おしまいになっています。
ここまで続けて読んでみると、曹操さまは詰まるところ、不老長生を願っているようです。曹操さまほどの方も、東西の門を出て自由になり、何ものにも束縛されずに長生きしたいなあ、というのを夢にみていたのです。いわんやみなさまの如き駑馬(ダメな馬)においてをや・・・と憎まれ口を叩きまして、今回はおしまいでございます。「老驥櫪に伏すも志千里に在り」の句だけは、十回ぐらい読んでしばらく覚えておこう。試験に出るかも。何の試験か知りませんが。
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