似非恒人(恒人にあらざるがごとし)(「魏武侯集」)
朝顔の花に水をやったりするかっこいい老人になるはずが、毎日なにものかに追われるこんな生活になってしまうとは。どうすればいいのか、賢者さまに聴いてみなければなりませんかも。

無為無策に暮らすといいかもじゃよ。
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昨日の続きです。秋、えびすの国に旅するひとの歌。
有何三老公、卒来在我傍。
何ぞ三老の公の有りて、卒(にわ)かに来たりて我が傍らに在るや。
なぜだかここに老いた賢者がいる。どうして突然わたしのかたわらにやってきたのだろうか。
「三老公」は「三人の老人」ではなく、「地域の指導層である「三老」に就任しているような賢者」と読んでください。
負揜被裘、似非恒人。
揜(えん)を負い裘(きゅう)を被(き)て、恒人には非ざるがごとし。
揜(たもと)の広い服を着て、毛皮の上着を羽織り、ふつうの人ではないようである。
謂卿云何、困苦以自怨。
謂う、卿、云何(いかん)ぞ、困苦以て自怨するか。
老人が言うには「おまえさん、どういうわけで、困難と苦労の中で自分のことを悲しんでいるのか。
そして、
徨徨所欲、来到此間。
徨徨として欲するところ、来たりてこの間に到るや、と。
うろうろとして欲望のままに、こんなところまで来てしまったのか」と。
歌以言志、有何三老公。
歌いて以て志を言わん、何ぞ三老公の有る。
うたを歌って(賢者に向かって)自分の思いを述べようと思う。なぜだかここに老いた賢者がいるのだ。
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後漢・曹操「秋胡行」(秋のえびすのうた)其二。この老人のまぼろしは、一昔前に大いに流行った(わしも随分嵌っておりました)ユング心理学の「オールドワイズマン」です。人生の危機において、無意識の中から「元型」(一定の文明に属する人間が共有する意識の型)として現れ、自己の進むべき方向を指示してくれる老賢者です。自己の賢い部分の投影だから、みなさんの中にもいるんですよ。ユング心理学は男女は違う元型を持っているという思想なので、心が男性の場合はじじい、女性の場合はばばあ、が出て来るはず。みなさんは出てきたことありますか。次回は、曹操さまがこのじじいと会話するぞ。
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