8月19日 この数日で冷凍庫のアイスが溶けた

不可加冠(加冠すべからず)(「秦書」)

外が暑すぎるんでしょう。溶けたアイスをジュースにして飲んでみました。やたら甘くて濃いので体にいいと思います。このようにわざわいを転じて福とすることができたのである。

首里の妖怪みみちりぼーじ(耳切坊主)は坊主の上に耳も切られているのでつるつるだ。服とか着やすい。

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四世紀前半、五胡十六国の時代に、短期間とはいえ華北一帯を統一することに成功した前秦の主(「天王」と名乗った)苻堅(在位357~385)は、いろんな人材を得ようとして、

征隠士張巨和至長安、賜以衣冠。

自分のもとで仕事をしてほしいというのである。この時、祭酒(国立大学の学長)を依頼しようとしたということだから、隠士に対して礼を尽くしたというべきであろう。しかし、張巨和は辞退した。

「朕がこのように頼んで居る。何故じゃ」

あわわ。うまく答えないと反逆や非礼を問われて死刑はもちろん、刻まれたりばらばらにされたり一族も皆殺しの刑です。

張巨和はお答えした。

年老頭禿、不可加冠。

そういって、(君主の前ではありえない失礼なことなのですが、)頭巾をとって頭をお見せした。頭巾は頭に巻いてしまえばいいのですが、冠は髪の毛をまとめたもとどりに冠ごと「簪」(しん)というかんざしを挿しこんで留めなければいけません。つるつる頭にはムリなのです。

「むむ、そうか、確かになあ。難しいなあ、わははは」

苻堅は機嫌よく辞退を許してくれました。

かくして張巨和は、

野服而入、既見求帰矣。

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前秦・車頻「秦書」より(清・湯球編「三十国春秋輯本」所収)。いいなあ、つるつるあたまが福を呼んで無事解放されました。得しましたね。実際には、苻堅がこの時期の五胡のひとには珍しく雅量のある人だった、ということでもありますが。

なお、張巨和は辞退して泰山に帰る途中で、死んでしまいます。巨和は四世紀初頭の永嘉の乱(307~312)を逃れて泰山に隠居したということですから、それから五六十年経っており、もう八十とか九十の年齢です。その間、

修真服気、鑿地穴居。

そうです。泰山を離れるとどんどん弱ってきて、早く泰山の気を吸いたがっていたのですが、間に合わなかったらしいのである。

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