非楽論(楽を非とするの論)(「墨子」)
エアコンのある部屋もあるんですが、そこ(書斎(笑))は寝られる状態ではないだけです。

おれたちエイサー三人衆。おれたちは間違っているのか?
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去年も春先にこのお話をしたことがあるかと思いますが、大事な話なので何度でもするんですよー。ぼけてきて忘れているのではありません。ほげほげ。
紀元前の戦国の時代のことですから、現代は知りませんが、むかしは、
民有三患。飢者不得食、寒者不得衣、労者不得息、三者民之巨患也。
民に三患有り。飢うる者の食を得ざる、寒き者の衣を得ざる、労(つか)るる者の息うを得ざる、三者は民の巨患なり。
人民には三つの憂い事がある。飢えている者は食べ物が無いことが憂い事だ。凍えている者は着る物が無いことが憂い事だ。疲れ果てた者は休むことができないのが憂い事だ。この三つが人民の大いなる憂い事なのである。
みなさんの政府は、この三つからみなさんを守ってくれていますか。
ここまでは「大事な話」です。「むかしの人は大変だったんだなあ」などと、ここまではみなさんも首肯できることでしょう。ここから先は案外どうでもいい話だ。
・・・子墨子(墨子先生)はさらに付け加えて言い出した。
嘗為之撞巨鐘、撃鳴鼓、弾琴瑟、吹竽笙、而揚干戚、民衣食之財、将安可得而具乎。即我以為未必然也。
嘗(こころ)みにこれがために巨鐘を撞き、鳴鼓を撃ち、琴瑟を弾じ、竽笙(うしょう)を吹き、干戚(かんせき)を揚ぐれば、民の衣食の財は、はたいずくにか得て具わるべけんや。即ち、我以ていまだ必ずしも然らずと為す。
「干戚を揚げる」だけ解説がいるかと思います。「干」は「盾」。「戚」は「まさかり」。防具と武具です。古代の兵士たち(すなわち武装を許された自由民や民衆)は、この二つを手にして、音楽に合わせて舞を舞う。「揚げる」は手に持ってあげたりさげたりして踊ることを言っています。原始の舞踊です。
ちょっと考えてみてください。大きな鐘をごーんと撞く、太鼓を打ち鳴らす、琴や大琴を弾く、縦笛横笛を吹く、盾とまさかりを持って踊る―――こんなことをすれば、人民の服や食べ物は、どこかに具備されるのですか。わたしが思いますに、具備されないと思いますよ。
「みんなが楽しく歌ったり踊ったりしているときに、なんでそんなこというんですか」
と感情論を以て反論しましたが、墨子先生はさらにお続けになった。
抑舎此、今有大国即攻小国、有大家即伐小家、強劫弱、衆暴寡、詐欺愚、貴傲賤、寇乱盗賊並興、不可禁止也。
そもそもこれを舎くも、今、大国有りて即ち小国を攻め、大家有りて即ち小家を伐ち、強は弱を劫し、衆は寡を暴し、詐は愚を欺き、貴は賤しきに傲り、寇乱盗賊並び興りて、禁止すべからず。
まあまあ、その話は置いとくとしても、今の世の中を見てみなされ。大きな国は小さな国を今にも攻めようとし、大きな部族は小さな部族を今にも討伐しようとし、強いものは弱いものを脅かし、多数派は少数派に暴力をふるい、ペテン師はオロカ者を騙し、えらい人は賤しい人に威張りちらし、外寇と内乱、群盗や盗賊が並び起こって、これを禁じることができていない。
さて、そこで、
然則若為之撞巨鐘、撃鳴鼓、弾琴瑟、吹竽笙、而揚干戚、天下之乱也、将安可得而治与。
然ればすなわち、もしこれがために、巨鐘を撞き、鳴鼓を撃ち、琴瑟を弾じ、竽笙(うしょう)を吹き、干戚(かんせき)を揚ぐれば、天下の乱や、はたいずくにか得て治むべけんや。
それならばじゃ、もし今の世の中で、大きな鐘をごーんと撞く、太鼓を打ち鳴らす、琴や大琴を弾く、縦笛横笛を吹く、盾とまさかりを持って踊る―――こんなことをすれば、天下の乱れば、治まることになるであろうか。
姑嘗厚籍斂乎万民、以為大鐘鳴鼓琴瑟竽笙之声、以求興天下之利、除天下之害、而無補也。
しばらく嘗(こころ)みに、厚く万民に籍斂し、以て大鐘・鳴鼓・琴瑟・竽笙の声を為し、以て天下の利を興し、天下の害を除くを求むるも、補う無きなり。
もしやれるなら、万民から厚く税金を集めて、それによって大きな鐘、太鼓、琴や大琴、縦笛横笛の音楽を演奏し、それによって天下の利益を増し、天下の害悪を除いてみなされ。何の役にも立ちますまい。
「むむむ」
論破されました。
墨子先生の勝利宣言だ、
是故為楽非也。
是の故に楽を為すは非なり。
以上により、音楽を奏でるのは間違ったことであると証明された。
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「墨子」非楽篇より。有名な墨家の「非楽論」(音楽否定論)です。この前に少し前段があって、音楽は(君主の)楽しみのためにするだけで、楽器を造ったり楽師を育てたりすることで産業振興を邪魔してしまうし、民衆からそのための税金を取らねばならないので、民衆が困るではないか、とまっとうなことを言っております。
「いやしかし、君主が一人で楽しむのでなくそれを武士や民衆とともにしようとするならいいのではないか」と思うと思いますが、そんなことを言いますと去年は紹介していない後段で、また論破されます。しかしそれはまた次回。そのうち。涼しくなってからにしようかなー。
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