8月16日 観タマがないと人生が充実する

喀喀然遂死(喀喀然として遂に死す)(「新序」)

台風も行ってしまいました。お盆も終わり、また明日からふつうの日々がはじまる。ゲロゲロ。観タマもあるのです。

せっぷくもしなければならんし、サムライはたいへんなんでぶー。

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戦国以前の古代のこと、という設定ですが、

東方有士、曰袁族目。

将有所適、而饑於道。

さて、

狐父之人丘見之下壺餐、以与之。

「むぎゅ、むぎゅ、むぎゅう」

袁族目三餔、而後能視、仰而問焉曰子誰也。

我、狐父之人丘也。

「なんですと!」

袁族目は言った、

嘻、爾乃盗也。何為而食我以吾不食也。

そう言って、

両手據地而欧之不出。喀喀然遂伏地而死。

「欧」は「嘔」と同じく「食べたものを吐きだす」という字です。「欧」のつくりの「欠」はひとが大きく口を開けて「あくび」をしている象形。「喀喀」は嘔吐する声、というのですから、「ゲロゲロ」という訳がぴったりするのでは。

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ああ。

県名為勝母、曾子不入。邑号朝歌、墨子回車。故孔子席不正不坐、割不正不食、不飲盗泉之水。積正也。族目不食而死、潔之至也。

(念のためですが、上記の①②はこの「新序」以前の古典では確認できないので、漢代は知りませんが現代では、ここが典拠とされているようです。③④は「論語」。⑤も有名な話ですが、前漢の「塩鉄論」に出て来るのが一番古いらしいので、最近(漢代の)語られるようになった「おはなし」のようです。)

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漢・劉向「新序」節士篇より。すばらしいですね。サムライたるものこれぐらい潔癖でなければ。サムライは。わたしは食いますが。

ところで、※※※※・・・までのおはなしは、戦国時代に編纂されたとみられる「列子」の説符篇にも載っています。ただし「列子」では主人公の名前は「爰旌目」(えんせいもく)で、ここまでのおはなしの後に、

狐父之人則盗矣。而食非盗也。以人之盗因謂食為盗、而不敢食。是失名実者也。

「食」は「しょく」の音のときには「食べる」という能動形で、「し」と発音するときは「食べ物」という受動形になります。

なんと、「列子」では主人公の爰旌目の態度が批判されています。

―――ああ何故だ、どうなっているのだ、矛盾だ、怪しからん、これだから東洋の古代のやつは、ははは、おれたちはすぐれているからなあ、研修やセミナーにも行ってるし・・・・・と思ったと思いますが、よくかんがえると、「新序」では「節士篇」(節度あるサムライの巻)に入っていて、サムライのかっこいい生き方について論じています。これに対して、「列子」の方は「説符篇」(説明が中身と合致しているかの巻)に入っている。つまり、それぞれ自分の言いたいことが先にあって、保有している「おはなし」データベースの中からこのおはなしを持ち出してきただけなんです。東洋の古代のやつらのやることだと思ってゆるしてやってくだされや。

(「新序」の方をもとにほとんど完成したところで、何のボタンを押してしまったのか、全部消えてしまいました。ゲロゲロ。機械に怒鳴ったりしてましたが、その後、まあしようがないや、と思い直して、「列子」の方を読み直したりしてから書き直したので、最初より内容が充実したのでは。観タマの無い日でよかった。ただし、充実したからといって何かの役に立つわけではありませんが。)

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