故友之風味(故友の風味)(「東坡志林」)
お盆も終わりました。お盆の行事もしてませんが、あちら側に行く準備もまだ整っていません。だが、間もなくなのは確かだ。どのにゃんこが迎えに来てくれるのかにゃー。

おれはこちらではかなりの顔にゃぜ。おれほどのネコが出迎えにはいかんにゃろ。
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宋代のことですが、
吾故人黎希声、治春秋有家法、欧陽文忠公喜之。
吾が故人・黎希声は、「春秋」を治めて家法有りて、欧陽文忠公これを喜べり。
わたしの古い友人・黎希声は、代々歴史書「春秋」に関する学問を治めてきた。わたしの師匠でもあった文忠公・欧陽脩さまが彼の学問をたいへん気に入っていた。
そういう才能はあったのだが、
然為人質木遅緩、劉貢父戯之為黎濛子。以謂指其徳。
然るに人となり質木して遅緩、劉貢父戯れにこれを「黎濛子」と為す。以てその徳を指して謂うなり。
しかしながら、性格は質朴で口下手、何事もゆっくりしている、どう見ても田舎者だ。別の友人、劉貢父は、ふざけて、彼に「れいもうし(ぼんやり黎さん)」という綽名をつけた。その人柄から名付けたのである。
「濛」は水蒸気が「もうもう」とするの「もう」です。ぼやけてしまっている、というような意味です。「子」は男子の尊称。
一日聯騎出、聞市人有唱。是果鬻之者、大笑幾落馬。不知果木中真有是也。
一日、聯騎して出づるに、市人の唱する有るを聞く。これ、果たしてこれを鬻ぐ者、大いに笑いてほとんど落馬せんとす。果木中に真にこれ有るを知らざるなり。
ある日、三人で馬を並べて出かけたところ、行商人が「れいもうし!れいもうし!」と呼んでいるのを聞いた。「何か用事か」と詰め寄ったところ、これは「れいもうし」売りの行商人だったのだ。あまりに可笑しくて、あやうく馬から落ちるところだったなあ。果物の中に「れいもうし」があるなんて、その時まで知らなかったのだ。
「黎濛子」と同じ発音の「檸檬子」は、そのころ南国から入ってきた新奇な果物でした。もちろん、現代の「レモン」です。
ああ、あの時は楽しかったなあ。
さて、あれから何年が経ったであろうか。わしは白髪の老翁になった。
今吾謫海南、所居有此、霜実累累。然二君皆入鬼録。
今、吾、海南に謫せられ、居るところにこれ有り、霜実累累たり。然して二君みな鬼録に入る。
いま、わしは亜熱帯の海南島に流罪になっている。ここには、レモンがたくさんあり、冬にもその果実はごろごろしているんじゃ。けれど、二人はもう死んで、あの世の名簿に名前が載ってしまった。
さて、
坐念故友之風味、豈復可見。
そぞろに故友の風味を念うに、あにまた見るべけんや。
なんとなしに、古い友人の味わいを思い出してみたが、もう二度と会うことはないのだ。
「古い友人の味わい」は如何なる味か。
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宋・蘇東坡「東坡志林」巻一より。鬼録に入ってしまうとしばらく戻ってきません。あちらはいいところなんでしょう。お盆でも来てるかどうか・・・、こちらから行く方が早いでしょう。
ちなみに、東坡より数世代あとの南宋の石湖先生・范成大が、広州地方の名産や風俗をメモした「桂海虞衡志」によりますと、
黎朦子如大梅復似小橘。味極酸。
黎朦子(←范成大はこのように表記しています)は大いさ梅の如く、また小さき橘に似たり。味、極めて酸。
レモンは、ウメぐらいの大きさのもの、また、ミカンの小さいものぐらいのものがある。味は・・・ものすごく酸っぱい。
そうです。そりゃそうでしょうね。
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