無君輩客(君が輩の客無し)(「世説新語」)
昼間、総理大臣が「辞めることにしましたでー」と記者会見していました。
それを見ながら、
「キミは総理大臣とくらべてどちらがすぐれていると思っているんだ? キミも辞めてはどうかとずっと思っているんだけど」
とえらい人に訊かれた人もいるかも知れません。そんなときは、
「総理大臣の方がすぐれていますよ」
と答えましょう。
「そうだよな。どういうところが?」
とさらに訊いてきたら、以下を参考にしていただくといいと思います。

わしにもさすがにこんな客人は来ません。もぐらべえは意外と優秀だな。
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晋の蔡謨は名門の出身で、「漢書」に注をつけた博学の士であったが、王濛や劉惔といった友人たちは、彼がいつも穏やかなので、会うたびに彼を軽んじていた。
二人嘗詣蔡、語良久乃問蔡、曰公自言何如夷甫。
二人かつて蔡に詣り、語ることやや久しくして蔡に問いて曰く、公、自ら言いて夷甫と何如(いかん)ぞ、と。
二人はある時、蔡謨のところに行って、しばらく四方山の話をしていたが、やがて蔡謨に訊いた。
「おまえさまは、自分では王夷甫とどちらがすぐれていると思っているのだ?」
蔡謨は答えて言った、
身不如夷甫。
身は夷甫に如かず。
わたしが王夷甫さまにかなうはずないじゃないですか。
夷甫は王衍という人の字です。王衍は彼らよりも一時代前、西晋の終わりころの清談の名手として名高く、やがて宰相にもなった人です。
しかしながら、王衍は宰相をしていたために西晋末期の混乱の中で逃亡もできず、五胡の石勒に捕らわれ、「国家を滅ぼしたのはおまえ(のような名声だけで実質の無いやつ)だ!」と指摘された後に殺されました。
今でいえばテレビに出ている評論家のみなさんのように尊敬されていたのですが、殺されてしまったので後世の評価は決して高くないのです。
王劉相目而笑。
王・劉相目して笑う。
王濛と劉惔は目配せをしあって、「ぷぷっ」と笑った。
そして、また訊いた、
公何処不如。
公、何れの処か如かざる。
「おまえさんは、どういうところがかなわないと思っているのかな?」
蔡謨は答えた、
夷甫無君輩客。
夷甫には君の輩の客無し。
「王衍さまには、おまえさんたちレベルの客人はいなかったんだよ」
二人は押し黙ってしまった、ということである。
蔡謨は後、東晋屈指の重臣として、揚州知事(首都長官で、時の朝廷から信頼のある人しか任命されない)になった。王濛と劉惔?二人は東晋きっての風流人として長生きしたみたいですよ。
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宋・劉義慶「世説新語」排調第二十五より。わたしのところはこんなのは来ません。今月になってからは、Mさん夫妻、Iさん、Hさん夫妻など立派なひとばかりである。おみやげもくれたりします。
全勝さんが肝冷斎で勉強したみたいです。これはおそらく肝冷斎の一番正しい使い方ですね。
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