怒者常情(怒れる者は常情なり)(「資治通鑑」)
あんまりにやにやしていると目をつけられますからね。時々は怒ったふりもした方がよろしいようでございますよ。

いつも笑っていると「変なひと」と思われてしまうぞ。特にわしのようにハダカだと警察に通報されたりするぞ。時々は怒ったり服を着たりもしよう。
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安禄山の乱の平定に頭角を現し、粛宗から代宗の時代にかけて権力をほしいままにした宦官・魚朝恩は、宦官による近衛軍である「神策軍」の指揮官として宮中の治安を一手に掌握するとともに、「天下観軍容宣慰措置使」(全軍の責任者)として全軍の指揮権を持ち、また判国子監(国立大学総長事務取扱)として儀礼や教育の実権を入手、爵位も鄭国公として人臣としては最高位を占めるに至った。
実際、宮中における諸会議を主宰し、宰相さえ彼を通さずには何もできない、という実権を握っていたのである。
大暦元年(766)のこと、
秋八月、国子監成。釈奠。
秋八月、国子監成る。釈奠(せきてん)す。
秋八月(新暦では九月です)、国立大学の庁舎が完成したので、祝賀の儀式が行われた。
この際、
魚朝恩執易昇高座、講鼎覆餗。
魚朝恩、「易」を執りて高座に昇り、「鼎、餗(そく)を覆す」を講ず。
総長である魚朝恩は、「易経」を手にして講演台に昇り、鼎卦の第四爻「ナベの料理をひっくり返した」について講義した。
この爻辞は次のようになっております。
鼎折足、覆公餗。其形渥、凶。象曰、覆公餗、信如何也。
鼎、足を折り、公の餗を覆す。その形は渥(あく)、凶なり。象に曰く、公の餗を覆す、まことに如何せん。
いろんな解釈がありうるのですが、がんばって、この場に合うように翻訳してみます。
―――三本足のなべ。なべの足が折れて、王さまに差し上げる料理がひっくり返ってしまった。(責任者のお前は)見たところ、汗がたらたら流れている。まがまがしいことが起こるぞ。
―――「象」氏の注にいう、王さまの料理をひっくり返してしまったのだ、本当にどうしようもない。
食い物をひっくり返したらいけませんよね。
この状況を別の注釈、「繋辞伝」では、
徳薄而位尊、知小而謀大、力小而任重。鮮不及矣。
徳薄くして位尊く、知小にして謀大きく、力小にして任重し。及ばざること鮮(すくな)きかな。
(占った人は)徳を積んでいないのに地位だけ高くなってしまっている。知っていることが少ないのに、大きなことを画策している。体力はあまりないのに荷物は重い。責任を取らされずに済む、ということは、まずないであろう。
と言っています。すなわち、その人がその任にたえざるをいう。
・・・魚朝恩は、この句を講ずることで、
以譏宰相。
以て宰相を譏るなり。
それによって、宰相たちを公開の場で批判したわけである。
この時、宰相は二人おりました。
王縉怒、元載怡然。
王縉は怒り、元載は怡然(いぜん)たり。
王縉は批判されて憤慨していたが、元載の方はにやにや笑っていた。
講義が終わり、魚朝恩の側近が言った。
「普段偉そうな宰相をとっちめたのはオモシロかったですが、王縉さまを怒らせてしまいましたな」
「どうかな」
魚朝恩謂人曰、怒者常情。笑者不可測也。
魚朝恩は人に謂いて曰く、「怒れる者は常の情なり。笑える者は測るべからず」と。
魚朝恩はそう言った側近に向かって、言った。
「怒っていたやつは、人間として普通の感情を持っただけだろう(。それを外に表しただけだ。そんな人は容易くあしらえる)。それより、笑っていたやつの方だ。何を考えているのか、まったくわからんぞ。」
と。
その評価を知ってか知らずか、元載は朝廷の議論においては、普段は自らの意見を強く主張していたが、魚朝恩が席にいるときだけは、いつも黙って全体の意見に従っていた。
大暦5年(770)、魚朝恩の専権を見かねた代宗に、彼を除くことを密奏し、神策軍の手の届かぬところ(すなわち閣議室)で絞殺してしまうという方法を画策したのは、元載であった。
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宋・司馬光等「資治通鑑」巻二二四より。「新唐書」や「唐国史補」の方が原典ということになるのでしょうが、魚朝恩が側近に「怒っていたやつは・・・」と解説する部分は、「資治通鑑」の名場面の一つとされているので、「資治通鑑」から引用してみました。魚朝恩、元載の性格の悪いのがよく出てて、いいですね。
なお、「怒者常情。笑者不可測也。」というコトバは、現代チャイナでは「資治通鑑」の場面を離れて、
感情をあらわにしているやつは信用できるが、感情を見せずににやにやしているやつは信用できない。
の意味で「俗諺」(人民の間でよく使われる言い回し)となっています(民国11年(1922)胡樸安編「俗語典」による)ので、気をつけましょう。100年前だからもう大丈夫かな。
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