8月13日 にやにやするな、と怒られてもにやにや

怒者常情(怒れる者は常情なり)(「資治通鑑」)

あんまりにやにやしていると目をつけられますからね。時々は怒ったふりもした方がよろしいようでございますよ。

いつも笑っていると「変なひと」と思われてしまうぞ。特にわしのようにハダカだと警察に通報されたりするぞ。時々は怒ったり服を着たりもしよう。

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安禄山の乱の平定に頭角を現し、粛宗から代宗の時代にかけて権力をほしいままにした宦官・魚朝恩は、宦官による近衛軍である「神策軍」の指揮官として宮中の治安を一手に掌握するとともに、「天下観軍容宣慰措置使」(全軍の責任者)として全軍の指揮権を持ち、また判国子監(国立大学総長事務取扱)として儀礼や教育の実権を入手、爵位も鄭国公として人臣としては最高位を占めるに至った。

実際、宮中における諸会議を主宰し、宰相さえ彼を通さずには何もできない、という実権を握っていたのである。

大暦元年(766)のこと、

秋八月、国子監成。釈奠。

この際、

魚朝恩執易昇高座、講鼎覆餗。

この爻辞は次のようになっております。

鼎折足、覆公餗。其形渥、凶。象曰、覆公餗、信如何也。

いろんな解釈がありうるのですが、がんばって、この場に合うように翻訳してみます。

食い物をひっくり返したらいけませんよね。

この状況を別の注釈、「繋辞伝」では、

徳薄而位尊、知小而謀大、力小而任重。鮮不及矣。

と言っています。すなわち、その人がその任にたえざるをいう。

・・・魚朝恩は、この句を講ずることで、

以譏宰相。

この時、宰相は二人おりました。

王縉怒、元載怡然。

講義が終わり、魚朝恩の側近が言った。
「普段偉そうな宰相をとっちめたのはオモシロかったですが、王縉さまを怒らせてしまいましたな」
「どうかな」

魚朝恩謂人曰、怒者常情。笑者不可測也。

と。

その評価を知ってか知らずか、元載は朝廷の議論においては、普段は自らの意見を強く主張していたが、魚朝恩が席にいるときだけは、いつも黙って全体の意見に従っていた。

大暦5年(770)、魚朝恩の専権を見かねた代宗に、彼を除くことを密奏し、神策軍の手の届かぬところ(すなわち閣議室)で絞殺してしまうという方法を画策したのは、元載であった。

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宋・司馬光等「資治通鑑」巻二二四より。「新唐書」「唐国史補」の方が原典ということになるのでしょうが、魚朝恩が側近に「怒っていたやつは・・・」と解説する部分は、「資治通鑑」の名場面の一つとされているので、「資治通鑑」から引用してみました。魚朝恩、元載の性格の悪いのがよく出てて、いいですね。

なお、「怒者常情。笑者不可測也。」というコトバは、現代チャイナでは「資治通鑑」の場面を離れて、

の意味で「俗諺」(人民の間でよく使われる言い回し)となっています(民国11年(1922)胡樸安編「俗語典」による)ので、気をつけましょう。100年前だからもう大丈夫かな。

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