小人蠢人(小人は蠢人(しゅんじん)なり)(「郎潜紀聞」)
今日もためになる話です。

どう考えても虫たちの方が、わたくしどもより目的や生きがいを持っていそうである。
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清・道光己亥年(1839)のこと、黄河の治水の責任者であった見亭・麟慶さまが、みずから黄河の分水地点に出向いて水門の工事を監督していた時のことであるが、部下が一人の老水夫を連れてきた。その老人、
年一百三十二歳。
年、一百三十二歳なり。
年齢は百三十二歳である。
というのである。
確かに、
蔵有雍正七年初充水手印冊、並嘉慶十二年前河道李長森所賞百歳銀牌。
雍正七年、初めて水手に充つるの印冊、並びに嘉慶十二年、前河道・李長森の百歳を賞するところの銀牌有りて蔵す。
雍正七年(1729)に初めて水夫の職に充てられた時の身分証明書と、嘉慶十二年(1807)に、前河道総監の李長森がくれた、百歳になったことを賞賛する盾とを大事に持っていた。
証拠もあるので面会することにしました。
鶴髪飄蕭、駘背傴僂、而精神強固、状若六七十許人。
鶴髪飄蕭として、駘背傴僂(たいはいうる)なれども精神強固にして、状は六七十許(ばか)りの人のごとし。
白髪がばらばらとあるだけで、背中にこぶがあって曲がっている。しかし、精神はしっかりしており、見たところ六七十歳ぐらいの人に見えた。
名前を訊いてみた。
「史浩然なり」。
どこの生まれですか。
「山東の汶上なり」。
何年生まれですか。
「康煕戌子なり」。
とはっきりいう。康煕戌子は四十七年(1708)である。
問、何修養。
問う、何の修養あるか。
長生きをするのに、何か特別な修行法なり習慣はあるか。
曰、小人蠢人也。餓了喫、困了睡、心不想事。
曰く、小人は蠢人(しゅんじん)なり。餓すれば喫し、困ずれば睡り、心に事を想わず。
この「小人」はしもじもの者の一人称です。
答え、「しもじものあっしは、(化学反応などで)うごめいている虫のような人間でございやす。腹が減ったら食う、疲れれば眠る、何にも心に考えてはおりやせん」。
なるほど。
遂賞以銭十千、老人尚能手携其五也。
遂に賞するに銭十千を以てするに、老人なおよく手にその五を携う。
最後に褒めて銭千枚を紐で連ねたもの(一貫)を十本与えたところ、老人はそのうち五本は自分の手で持ち帰ることができた。
残りの五本は命じられたしもじもが運んだのでございやす。少しは酒代も弾んでいただけたのでございやしょうか。
後不知終於何年。此亦聖代寿民之罕見者。
後、何れの年に終わるやを知らず。これまた聖代の寿民の罕(まれ)に見る者なり。
その後、何年に亡くなったのかはわからない。このひとも、聖なる我が清朝の御代の、まれにみる長寿びとであったといえよう。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」四筆巻五より。いやあ、これは感動した。久しぶりでいい話を聞きました。人間132歳まで生きられる、長生きの秘訣は腹減ったら食う、眠いときは寝る、これだけだ、我が人生そのままでいいのだ。しかも、「小人は蠢人なり」という定義づけもすばらしい。わたしどももこの定義グループです。毎日化学反応して、光の方に走ったり、酸性の方に走ったりして、生きる。熱水に集まる。電気に痺れる。怒られたらにやにや笑う。こんな感じです。酔生夢死ほどではないが、意外といいかも。
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