8月2日 いつまでもあると思うな墓と子孫

泥無身(泥して身無し)(「觚賸」)

ほんとは「親とカネ」だったですかね。

いま、深夜です。お墓に行ったらこんなやつらがいるのかな?

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コロポックルは妖怪ではありません。

さて、我が江蘇・呉江のひと、卜孟碩は、若いころから才能があり、特に書画に優れていた。

其自榜所居緑暁斎、曰。

濯足須加漢光腹、抵掌欲捋梁武鬚。

後漢・光武帝の旧友で、帝に招かれて雑魚寝をし、足を帝の腹の上に乗せて寝たという①隠者・巌光と、茅山の山中に隠棲して仙薬を作っていながら、梁の武帝から事あるごとに使者を遣わされて諮問を受けていたので「山中宰相」といわれた②道士・陶弘景の二人の故事を並べて、権力と敵対はしないけどそれを求めるつもりはない、自らは自由な境涯にある、ことを宣言しております。

屋内に入っていくと、対聯が掛けられていた。曰く―――

闘歌喉、鳥衆人寡。
賭笑面、花輸我嬴。

彼は、いつも

首挽高髻、身衣大紅苧布袍、跣足行歌市中。所用障面、長三四尺、而袖小、蓋僅方広数寸。見者皆指為狂。

たしかに見た目ヤバそうな人ですが、趣味も変なんです。

性喜視鬼、毎於陰雲晦月之夕、独至荒塚中露宿、冀得一遇。

果たして出会えたのかどうか。本人が、、

年三十二而没。臨没之歳、人有乞其書画者、巻後但題曰、泥無身。

卜孟碩が死んでからもう数年経つが、

近日越中有符致乩仙者、亦称泥無身。蓋已仙去矣。

「乩仙」(けいせん)は、道観(道教のお寺)などにいて、わが国でいうこっくりさんのような手法で神仙から未来に関するお告げを得て、依頼人に伝達してくれる占い師です。

其自為墓誌銘甚佳。

鶯坐一身柳、蜂帰両股花。

何減唐音。

うーん、どうでしょうか。「一身」と「両股」はおどろおどろしい死体をイメージしていて、唐詩の中でも「鬼才絶」といわれた李賀などに似ていると言いたいのかも知れませんが、なんだか笑顔の多い明るい人だったっぽいので明るく訳してみました。

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清・鈕琇「觚賸」巻二より。週末だから長々ご紹介いたしました。そろそろ怪談の季節、お墓に肝試しとか行って涼んできたい時期ですね。ひっひっひ。むかしはあの世のものを怖いと少しは思ったが、最近はそちらの方が近づいてきているので、あんまり怖くなくなってきました。もうすぐ「どろどろ身も精神も無し」になって、この世もあの世も平等不二になるのかな。

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