茶一瓮相餉(茶、一瓮(おう)を相餉(あいおく)るのみ)(「分甘余話」)
今日は推薦してもらって、フランス料理店の会合に出させていただく。有名なお店なので居眠りせず、目をぎらぎらさせ、食器をがちゃがちゃさせて食べました。会合の中身はわかりません。推薦してくれた人にお礼を言わないといけないのかな。

おれが推薦してやったんだなどとウソをついてはいけません。
・・・・・・・・・・・・・・・
清の時代のことです。
余在九卿時、薦挙人才甚多、率不令其人知之。
余、九卿に在りし時、人才を薦挙すること甚だ多きも、率(すべ)てその人をしてこれを知らしめず。
「九卿」は廟堂を構成する九人の大臣、の意ですが、実際にはずっとこの九ポスト、と決まっているわけでもなく、「政府のすごい高官」ぐらいの意味に考えてください。
わしは、すごい高官を務めていたころは、ずいぶん多くの才能ある人物を推薦してきたが、その人たちに「わしが推薦した」ということは知らさないようにしてきた。
わざと知らせる人もいたんだそうです。
故時有冒竊居功者、聞之一笑而已。
故に、時に冒竊して功を居る者有るも、これを聞きて一笑するのみなり。
(知らせていなかったので)ときどき、某くんは自分が推薦したのだ、と言っている人がいて、それを聞くと笑ってしまう―――が、笑うだけですませている。
例えば、・・・・
と、ずらずら固有名詞を挙げてくれていますが、おそらく当時のえらい人だと思うんですが現代人にはわからないので、省略。
蓋不下十余人、至今屢被遷択尚有不知者。
蓋し、十余人を下らざるも、今に至るもしばしば遷択せられてなお知らざる者有り。
というような人たち、十数人以上だが、今でも、さらにどんどん偉くなっているのに、わしの推薦だとは知らない者が多くいる。
(教えてないんだからそうなるでしょう、と言いたくなるかも知れませんが、ぐっとガマンして話を聞きましょう。)
北宋の徽宗朝に、新旧両法党の融和を図った宰相の蘇頌がこんなことを言っている。
平生薦挙不知幾何人、惟孟安序朝奉歳以双井茶一瓮相餉。
平生の薦挙、幾何人なるかを知らず、ただ孟安序朝奉のみ、歳に双井茶の一瓮を相餉(おく)るのみ。
これまで推薦したやつは何人になるかわからないほどだが、たった一人、朝奉郎(政府の審議官クラスでしょうか)の孟安序が、毎年、郷里の名物、双井茶の葉を一瓶送ってきてくれる・・・だけだ。
と。
古今一也。要視其出於公、出於私爾。聞往昔薦一人有酬謝不訾者。
古今一なり。その公に出づるや私に出づるやを視んことを要す。往昔、一人を薦めて酬謝を訾(きら)わざる者有るを聞けり。
むかしも今も同じじゃのう。推薦が公けの利益のためにしたものか、私の利益のためにしたものかを見極める必要はありますぞ。かつて、誰かを推薦して、堂堂とその謝礼をもらって私益を図った人もいたという。
そうですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・王士禎「分甘余話」巻二より。なるほど。わたしを推薦しても推薦者の利益になるはずないので、「公の利益」のために推薦されたと推測されます。したがってお礼は言わなくていいに違いありません。
王士禎は「清朝一代の正宗」(清代を通じての代表的な正統派)といわれる大詩人で、康煕朝に刑部尚書にまでなりましたが、刑事事件の裁きに失敗したことの責任を問われて引退し、晩年、多くの随筆を書いたひとです。当時の人気作家らしく、この本、最晩年とはいえ、生きている間に出版されています。
コメントを残す