7月31日 どんどん深みにはまってしまった感じ

可不是(是ならざるべし)(「嘯亭雑録」)

今日は飲み会があって帰ってきてひと眠り。そのあと、はじめは、今日は昨日までより少し涼しかった、もう秋だ、赤とんぼも飛んでいた、でも「はなはだ寒いですか」と訊かれたら、可不是(そうでもない)と答えましょう、この言葉は他にも使い勝手がある―――というような話をしようと思ったのですが、話の展開上深みにはまってしまって多様性を称賛する内容に・・・。

寒冷前線はさすがにまだ来ないが。

・・・・・・・・・・・・・・

満州族出身で、乾隆五十四年(1789)に孝廉となった賽泰(さいたい)さまは、もともと明るい御性格ではなかったそうだが、

面目臃腫、人争厭之。

ちょっとかわいそうですが、このひとは、

与人言習語、可不是三字、人以賽可不呼之。

当時、皇族の輔国公晋隆さまはとても愉快な人であられたが、

一日於座中驟問賽、曰今日天気甚寒。

実際にはあまり寒くない日である。

賽習以可不応之。

晋隆さまは、賽がいつもどおりの口癖を使うのを確認すると、怒りっぽいのでみなから煙たがられていた某大臣が席にいるのを見計らって、

又云、君観某大臣貌可作龍陽否。

「龍陽」は男性の寵愛を受ける男性のこと。典拠について興味のある方は下の方をご覧ください。

賽亦漫応之。

「なにを話しておるか!」

為某大臣所責、至跪謝乃已。

某大臣は(自分の方を指して「そうでもない」と否定的なことを言われたので)お怒りになられ、何を話していたのか賽を問い詰めた。賽が土下座して謝って、ようやくお許しになった、ということである。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」続録巻二より。おそらく、当時は皇族の方が怒られることはなかった、というような前提が無いと分かりづらいですが、男たちの世界は罠に満ちた恐ろしいところであった、ということは御理解いただけるでしょう。サラリーパーソンのみなさんは気をつけなければいけませんぞ。

(参考)龍陽君について

龍陽君は、戦国時代の魏国の公子(王族)であったが、時の魏王の寵愛を受けた。

魏王与龍陽君共船而釣、龍陽君得十余魚而涕下。

王は言った、

有所不安乎。

相手を思いやる・・・ああ、うるわしい。うるわしい愛の姿です。

龍陽君は涙を拭きながら言った、

臣之始得魚也、臣甚喜、後得又益大、今臣直欲棄臣前之所得矣。

「ふむ」

臣亦猶曩臣之前所得魚也。臣亦将棄矣。臣安能無涕出乎。

うるうる。

魏王曰、誤。有是心也、何不相告也。

於是布令於四境之内、曰有敢言美人者族。

・・・・・というお話でございます。「戦国策」魏策四より。「戦国策」にはこのあと、近習の者のとるべき戦略としては、自分よりすぐれた者を主君に近づけさせないことである・・・みたいなマニュアルが書いてありますが、いずれにせよこの故事によって「龍陽(君)」は、男性の寵愛を受ける男性の代名詞となったのでございます。

―――多様性があって、よろしい。

とえらい人に誉められるかも。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す