可不是(是ならざるべし)(「嘯亭雑録」)
今日は飲み会があって帰ってきてひと眠り。そのあと、はじめは、今日は昨日までより少し涼しかった、もう秋だ、赤とんぼも飛んでいた、でも「はなはだ寒いですか」と訊かれたら、可不是(そうでもない)と答えましょう、この言葉は他にも使い勝手がある―――というような話をしようと思ったのですが、話の展開上深みにはまってしまって多様性を称賛する内容に・・・。

寒冷前線はさすがにまだ来ないが。
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満州族出身で、乾隆五十四年(1789)に孝廉となった賽泰(さいたい)さまは、もともと明るい御性格ではなかったそうだが、
面目臃腫、人争厭之。
面目臃腫して、人争いてこれを厭う。
顔中に腫れ物があって、同僚たちはみな彼を嫌がっていた。
ちょっとかわいそうですが、このひとは、
与人言習語、可不是三字、人以賽可不呼之。
人と言うに「可不是(是ならざるべし)」の三字を習語し、人、「賽可不」を以てこれを呼ぶ。
人と話をするといつも「そうでもない」というのが口癖で、みんな彼を「でもないの賽さん」と呼んでいた。
当時、皇族の輔国公晋隆さまはとても愉快な人であられたが、
一日於座中驟問賽、曰今日天気甚寒。
一日、座中において驟(すみや)かに賽に問いて曰く、「今日、天気甚だ寒し」と。
ある日、会議にみなが集まったところで、早口で賽泰に訊ねた。
「今日はずいぶんお寒いですなあ」
実際にはあまり寒くない日である。
賽習以可不応之。
賽、習いて「可不」を以てこれに応ず。
賽は、いつものように「そうでもない」と答えた。
晋隆さまは、賽がいつもどおりの口癖を使うのを確認すると、怒りっぽいのでみなから煙たがられていた某大臣が席にいるのを見計らって、
又云、君観某大臣貌可作龍陽否。
また云う、君某大臣の貌を観て龍陽と作るべきや否や、と。
また早口で言った、「君、あの大臣の顔を見ると、愛人になりたくなってこないか?」。
「龍陽」は男性の寵愛を受ける男性のこと。典拠について興味のある方は下の方をご覧ください。
賽亦漫応之。
賽はまた漫にこれに応ず。
賽は、また考えもせずにこの言葉に「そうでもない」と答えた。
「なにを話しておるか!」
為某大臣所責、至跪謝乃已。
某大臣の責むるところとなり、跪きて謝するに至りてすなわち已む。
某大臣は(自分の方を指して「そうでもない」と否定的なことを言われたので)お怒りになられ、何を話していたのか賽を問い詰めた。賽が土下座して謝って、ようやくお許しになった、ということである。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」続録巻二より。おそらく、当時は皇族の方が怒られることはなかった、というような前提が無いと分かりづらいですが、男たちの世界は罠に満ちた恐ろしいところであった、ということは御理解いただけるでしょう。サラリーパーソンのみなさんは気をつけなければいけませんぞ。
(参考)龍陽君について
龍陽君は、戦国時代の魏国の公子(王族)であったが、時の魏王の寵愛を受けた。
魏王与龍陽君共船而釣、龍陽君得十余魚而涕下。
魏王、龍陽君と船を共にして釣りするに、龍陽君十余魚を得て涕下る。
魏王と龍陽君は、一緒船に乗って釣りをした。龍陽君は次々と十数匹の魚を釣り上げて―――なぜか涙を流した。
王は言った、
有所不安乎。
安んぜざるところ有りや。
「どうしたのじゃ? 何か心配ごとがあるのか?」
相手を思いやる・・・ああ、うるわしい。うるわしい愛の姿です。
龍陽君は涙を拭きながら言った、
臣之始得魚也、臣甚喜、後得又益大、今臣直欲棄臣前之所得矣。
臣の始めて魚を得るや、臣はなはだ喜び、後得てまた益々大にして、今、臣、ただちに臣の前の得るところを棄てんとせり。
「わたくし、最初に魚を釣り上げたときは大変うれしうございました。その後に釣り上げたものはさらに大きいものが釣れました。そこで今、ふと、わたくしは、最初に釣った魚はあまり大きくないから捨てようかしら、と思いましたのです」
「ふむ」
臣亦猶曩臣之前所得魚也。臣亦将棄矣。臣安能無涕出乎。
臣また、曩に臣の前に得るところの魚のごときなり。臣またまさに棄てられんとす。臣いずくんぞよく涕の出づる無きや。
「わたくしは、さきほど、最初にわたくしが釣り上げた魚と同じなのではないかしら、と思ったのです。わたくしもいつか棄てられるのではないかしら。わたくしがどうして涙を落とさないでいられましょうか」
うるうる。
魏王曰、誤。有是心也、何不相告也。
魏王曰く、「誤まてり。この心有りや、何ぞ相告げざらん」と。
魏王はおっしゃった。「何を間違ったことを言うのだ。そんなことだったら、どうして早く言ってくれなかったのか」
於是布令於四境之内、曰有敢言美人者族。
ここにおいて四境の内に布令して曰く、「あえて美人を言う者有らば、族す」と。
そこで、国内に命令を下した。
「王に美しいひとを紹介しようと言うような者は、一族みなごろしとす」
・・・・・というお話でございます。「戦国策」魏策四より。「戦国策」にはこのあと、近習の者のとるべき戦略としては、自分よりすぐれた者を主君に近づけさせないことである・・・みたいなマニュアルが書いてありますが、いずれにせよこの故事によって「龍陽(君)」は、男性の寵愛を受ける男性の代名詞となったのでございます。
―――多様性があって、よろしい。
とえらい人に誉められるかも。
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