令和6年7月調査報告(伊賀・大和)

7月15日(日)・・・ 伊賀から山添村方面へ。山峡の深さ、林業を主としたであろう村々の歴史ありそうな家には感心したが、道路はやたらいいですね。

〇津市中村

・日向古墳 ・・・ 山神さまが祀られている。

山神さまが集められています。

・塚 ・・・ 道端にありました。

由来不明。

〇久居一色山論裁許状碑 ・・・ 隣の村と入会権を争い、慶長、享保、明治の「山論」勝利の立役者たちを顕彰する碑。

碑は昭和に建てられています。

傍らに大量の山神さまが。

〇白山町紀貫之の墓 ・・・ 七栗温泉の近くです。

ここで亡くなったんですね。証拠の墓碑があるんだから間違いないぞ。近所のひとに聴くと奥の山すそから明治ぐらいに遷してきたとのこと。

〇伊賀市阿保

・大村神社 ・・・ 延喜式内。垂仁天皇皇子・息速別命(おきはやわけのみこと)などが祭神。ナマズが祀られる。ネコがいました。

天正伊賀の乱で焼失、その後再建とのこと。

水かけナマズなどもいます。要石があるらしいが発見できず。

・阿保陵 ・・・ 在原業平の親父の阿保親王の御陵と間違われることがあるそうですが、そちらは播磨に御陵があるそうです。ここは息速別命(おきはやわけのみこと)の御陵です。

ちゃんと宮内庁の土地です。

・阿保頓宮 ・・・ 中世城郭かと見まがうような縄張りですが、阿保陵の前にあり、おそらく大村神社と阿保陵の間の仮宮なのでしょう。もしかしたら中世城郭も兼ねていたかも。

土塁に囲まれた窪地に光が当たって神々しい感じ。形態は百地砦など伊賀の中世城郭遺構に酷似する。

〇山添村
神波多神社 ・・・ ここも天正伊賀の乱で焼けたあとが。 

村を見下ろす嶺上にあって詰めの城の性格も持ったのではないか。明治期の絵馬がおもしろかった。

絵馬類です。

社頭より村を見下ろす。すばらしい景観です。

山添村歴史民俗資料館 ・・・ 無料です。

もとは小学校だったようです。

毛原廃寺跡 ・・・ 盗まれた七つの礎石が帰ってきているとのこと。

7世紀のお寺のようです。8世紀初めに都があったというガセ伝説もあるそうです。万葉集「山辺の三井」の伝承地。

〇天理市

赤土山古墳 ・・・ 石上の支配者豪族の古墳。シャープ社員寮の廃墟の中にあり。

石上の古い支配者の古墳であろう。櫟本氏か。

埴輪祭祀が復原されております。背後はシャー〇社員寮の廃墟。

和邇下神社 ・・・ 古墳の上に立つ。櫟本氏の氏神か。柿本氏がこの神社の社司であったと伝わる。物部の影姫伝説の地であるという。電池切れにより写真なし。 

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