為人頗相似(ひととなり頗ぶる相似たり)(「觚賸」)
暑くて気持ち悪くなってくるぐらいですね。食欲も減退しているのに体重は増えています。しかし性格は黠がしこかったりするのだ。

おまえなんか駆逐されるでロン。
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清代の初め、浙江の孫家荘、ここは孫という姓の大家族が住んでいるのであるが、
性黠而鷙、多行不義、頗瞻於財。危楼高台、構至百楹、周囲繚垣、甃甓甚固。
性黠にして鷙(し)、多く不義を行い、頗る財に瞻る。危楼高台、構えて百楹に至り、周囲垣を繚らし、甃甓甚だ固し。
孫氏の当主は性格が悪賢くて猛禽類の獰猛、不正義なことをたくさんしているが、財産にはたいへん執着していた。孫家は、数階もある楼閣や高い見晴台などがあり、屋敷の構えは柱百本あり、周囲に垣をめぐらして、瓦や土壁で固く守っていた。
佃戸之依以居者、茅舎三十余家。
佃戸の依りて以て居る者、茅舎三十余家なり。
孫家に頼って生活している小作人の茅葺きの家が三十余りもあって、孫家のまわりを取り囲んでいた。
康煕十三年七月初八、雨中、忽見荘東北有巨人、長十丈許、去荘前半里地、抜一大柳樹、望空旋舞。
康煕十三年七月初八、雨中に、忽ち荘の東北に巨人有るを見る。長(たけ)十丈許(ばか)り、荘前を去ること半里の地にて、一大柳樹を抜き、空に旋舞するを望む。
康煕十三年(1674)の七月八日のこと、雨が降り始めたが、その雨の中、屋敷の東北から巨人が現れたのだ。その背丈は32メートルぐらい(清代の一丈≒3.2メートルで計算)、屋敷の前から300メートルぐらい(一里≒580メートルで計算)離れたところにあった大きなヤナギの木を根っこから引き抜き、空中でぐるぐる回していたのが望見されている。
狂風刮地、其声若雷、孫姓之屋、蕩掃無遺。摧圧而斃者九人。傍居佃戸、完然如故。
狂風地を刮し、その声雷のごとく、孫姓の屋、蕩掃して遺る無し。摧圧して斃るる者九人。傍居の佃戸は完然にして故の如し。
狂ったような風が大地をえぐり、その音はカミナリのようであった。孫氏の屋敷は吹っ飛ばされて何も残らなかった。崩壊した家屋の中で圧死していた一族の者が九人いた。すぐ隣の小作人たちの家は、まったく何の影響も受けなかった。
一族が全滅したわけではない。
是日孫氏有一甥、為巨人掣置別村楼脊。見其両掌如箕。
この日、孫氏の一甥有り、巨人の掣して別村の楼脊に置くところと為る。その両掌を見るに箕の如し。
この日、孫氏の当主の甥っ子が、巨人の手で持ちあげられて別の村の二階建ての建物に避難させられたが、「巨人の両手はザルのようでございまちた」とのことであった。
風定後、居人量所履之跡、長五尺八寸。
風定まりて後、居人履むところの跡を量るに、長さ五尺八寸なり。
風が治まってから、村人がその巨人の足跡を測ってみたところ、足の長さが180センチあった。
ということだ。一寸≒3.2センチで計算しております。
ところで、
吾邑呉聖揆家、白昼晦冥、有龍自中門入、夭矯倐忽、破屋而逝。
吾が邑の呉聖揆の家、白昼晦冥して、龍の中門より入るありて、夭矯倐忽(しゅくこつ)、破屋して逝けり。
我が出身村の呉聖揆の家では、白昼に急に暗くなって、中門のところから龍が入り込んできたそうだ。この龍は延びたり縮んだりして、あっという間に屋敷を壊して、どこかに行ってしまった。
この家も、
檐桷甍棟、挟以倶飛、耕牛三頭、摂至雲中而堕。
檐桷甍棟、挟んで以てともに飛び、耕牛三頭、摂りて雲中に至りて堕とせり。
軒の木材、柱、いらか、棟木、すべて風が持ち去ってしまったが、耕作用のウシ三頭も連れ込まれ、雲の中まで入り込んだ後、また地上に落とされてきた。
聞聖揆為人頗与孫相似、故亦致此与。時康煕三十二年七月間事也。
聞くに、聖揆の人となり頗ぶる孫と相似たり、故にまたこれを致すか。時に康煕三十二年七月間の事なり。
聞いたところでは、この呉聖揆というやつの性格は、孫家の人たちとすこぶる似ている。そこで、また同じことが起こったのであろう。この事件は、康煕三十二年(1693)の、これもまた暑い七月のころのことであった。
悪いやつは巨人や龍に駆逐されるのだ。
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清・鈕鈷「觚賸」巻五より。今日も夕方、雷光が閃いておりました。巨人か龍が暗躍していたのかも知れません。それ以外は、ひとで、鯉、つばめ、トラ・・・、どれもこれもあまりに弱そうなので、性格の黠(わるがし)こいやつらにかなうはずがありませんね。
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