7月23日 今日は暑いのに歩かされたが体重不変

一色黒子(一色の黒子なり)(「東坡志林」)

暑くて眠い。特に食えば眠いです。腹いっぱいになったら、一か月ぐらい洞窟の中で眠ってきたいところ、今日は昼飯のあと歩かされた。ふだんは歩きながら眠ることもよくあるが、今日は暑くて歩きながらは眠れず。

夜きちんと眠ればいいのでメー。と思うかも知れませんが、夜何時間寝ても眠くなります。鍛えられているのだ。

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北宋の時代のこと、南岳の李巌老は眠るが好きであった。好きなだけでなくて得意であった。

衆人食飽下碁、巌老輒就枕、閲数局乃一展転。

言う、

君幾局矣。

と。つまり寝ていて見てなかったんです。

これを聞いて、蘇東坡が言った、

巌老常用四脚碁盤、只著一色黒子。昔与辺韶敵手、今被陳摶饒先。

辺韶は後漢のひとで、ある時昼間から腹を出して寝ているのを弟子に見つかり、弟子がそれを言い触らしているのを聞いて、

腹便便、五経笥。但欲眠、思経事。

寐与周公通夢、静与孔子同意。師而可嘲、出何典記。

と言ったという(「後漢書」巻八十上「文苑列伝上」より)。

つまり、当時の寝るのが好きなひとであった。

陳摶(ちん・たん)は五代のころの隠者で、神通力があり、三年間眠っていたという。「五代史」に伝がありますが、ほうほう、この時間から「五代史」を引っ張りだして典故を示せとおっしゃるのか。ほうほう、この年寄りにのう・・・というので今日はこれでご勘弁くだされい。

さて、李巌老は、

著時自有輸嬴、著了並無一物。

「輸」は「負く」。「嬴」(えい)は「勝つ」です。

欧陽脩の詩に、

碁罷不知人換世。酒闌無奈客思家。

これはまた二つの物語が下敷きになっています。一は「爛柯説話」。晋のころある木樵が山中で人が碁を打っているのを見つけて、見入ってしまった。一局が終わった時、ふと見ると手にしていた斧の柄(柯)が腐って(爛れて)しまっていた。人間世界の数世代を過ごしてしまっていたのである。今一つは、山中に迷い込んだ人が女性と仲良くなってしばらく夫婦として暮らした。やがてどうしても家が恋しくなって女性が引き止めるのも聴かず帰宅することにした。山を下りてみると既に数世代を経て、彼のことを覚えている人もいなかったという・・・。(典拠の漢文引いてくるのめんどくさいんでこれで許してくだされ。年寄にこれ以上の夜更かしはさせてはなりませんぞ)

殆是類也。

何やら夢見て暮らしているうちに、いつの間にか、時代は変わってしまっているであろう。

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宋・蘇東坡「東坡志林」巻一より。居眠りして起きてもまだ現世で、仕事は何も進んでおらず(こびとがやってくれてない!)、数世代ぐらい経っていたらいいのに発注したやつらはまだ仕事できるのを待っているのですから、困った世の中ですね。

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