一色黒子(一色の黒子なり)(「東坡志林」)
暑くて眠い。特に食えば眠いです。腹いっぱいになったら、一か月ぐらい洞窟の中で眠ってきたいところ、今日は昼飯のあと歩かされた。ふだんは歩きながら眠ることもよくあるが、今日は暑くて歩きながらは眠れず。

夜きちんと眠ればいいのでメー。と思うかも知れませんが、夜何時間寝ても眠くなります。鍛えられているのだ。
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北宋の時代のこと、南岳の李巌老は眠るが好きであった。好きなだけでなくて得意であった。
衆人食飽下碁、巌老輒就枕、閲数局乃一展転。
衆人食飽して碁を下すに、巌老はすなわち就枕し、数局を閲してすなわち一展転す。
みんな(宴会で)飯を食いたいだけ食うと碁を始める。李巌は枕を出してきて横になり―――、数局が終わったころ、ごろりと寝返りを打ってー――。
言う、
君幾局矣。
君、幾局ぞ。
「おまえさん、何回勝負した?」
と。つまり寝ていて見てなかったんです。
これを聞いて、蘇東坡が言った、
巌老常用四脚碁盤、只著一色黒子。昔与辺韶敵手、今被陳摶饒先。
巌老常に四脚の碁盤を用い、ただ著(ちゃく)すは一色の黒子なり。昔は辺韶と敵手にして、今は陳摶に先に饒せらる。
李巌老人はいつも四つ脚の碁盤(つまり人間としての体そのもの)を使っている。その碁盤には、ただ黒色の石だけ(眠って目の前が真っ黒になっていることの譬喩)を打ち込むのだ。昔(千年前の後漢のころ)は辺韶と好敵手だったが、今(百年ぐらい前の五代のころ)は陳摶さまに先を越された。
辺韶は後漢のひとで、ある時昼間から腹を出して寝ているのを弟子に見つかり、弟子がそれを言い触らしているのを聞いて、
腹便便、五経笥。但欲眠、思経事。
腹便便たるは五経の笥なり。ただ眠らんと欲するは経の事を思いしなり。
腹がふくれて出ているのは、儒教の経典が(理解されて)入っているからだ。
ただ眠っているように見えたのは、経典の事を考えていたからだ。
寐与周公通夢、静与孔子同意。師而可嘲、出何典記。
寐ねて周公と夢に通じ、静にして孔子と意を同じすなり。師にして嘲るべきとは、何の典記に出づ。
眠って夢の中で周公に遇う、というのは、心を静かにして孔子と思いを同じにすることではないか(「論語」に「夢に周公を見る」(夢の中で古代の聖人・周公と会うほど、夢中で古代のことを学んだ)というコトバがあります)。おまえが弟子のくせに師匠を嘲るとは、いったいどんな古典に典拠があるのか?
と言ったという(「後漢書」巻八十上「文苑列伝上」より)。
つまり、当時の寝るのが好きなひとであった。
陳摶(ちん・たん)は五代のころの隠者で、神通力があり、三年間眠っていたという。「五代史」に伝がありますが、ほうほう、この時間から「五代史」を引っ張りだして典故を示せとおっしゃるのか。ほうほう、この年寄りにのう・・・というので今日はこれでご勘弁くだされい。
さて、李巌老は、
著時自有輸嬴、著了並無一物。
著(ちゃく)時には自ずから輸嬴有るも、著し了すれば並びに無一物なり。
「輸」は「負く」。「嬴」(えい)は「勝つ」です。
一石をばしんと置いた時には、勝つか負けるかの算段があった―――けれど置いた後は、すべて「本来無一物」(ひとは何も持たずに生まれて来るもの)である(勝負のことなど忘れてしまって、寝てしまう)。
欧陽脩の詩に、
碁罷不知人換世。酒闌無奈客思家。
碁罷めて知らず、人の世を換うるを。酒闌(たけ)なわにして奈(いかん)ともする無し、客の家を思うを。
碁が終わった時、なんだか時代が変わってしまったような気がした。(それだけ夢中になっていた。)
酒が回ってくると、旅人のわたしが故郷のことを思い出すのは致し方ない。(お酒を飲むと心が素直になってしまう。)
これはまた二つの物語が下敷きになっています。一は「爛柯説話」。晋のころある木樵が山中で人が碁を打っているのを見つけて、見入ってしまった。一局が終わった時、ふと見ると手にしていた斧の柄(柯)が腐って(爛れて)しまっていた。人間世界の数世代を過ごしてしまっていたのである。今一つは、山中に迷い込んだ人が女性と仲良くなってしばらく夫婦として暮らした。やがてどうしても家が恋しくなって女性が引き止めるのも聴かず帰宅することにした。山を下りてみると既に数世代を経て、彼のことを覚えている人もいなかったという・・・。(典拠の漢文引いてくるのめんどくさいんでこれで許してくだされ。年寄にこれ以上の夜更かしはさせてはなりませんぞ)
殆是類也。
ほとんどこの類なり。
(李巌老は、)この人たちと同じようなものである。
何やら夢見て暮らしているうちに、いつの間にか、時代は変わってしまっているであろう。
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宋・蘇東坡「東坡志林」巻一より。居眠りして起きてもまだ現世で、仕事は何も進んでおらず(こびとがやってくれてない!)、数世代ぐらい経っていたらいいのに発注したやつらはまだ仕事できるのを待っているのですから、困った世の中ですね。
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