随風而去(風に随いて去る)(「墨余録」)
今日は無茶苦茶暑かった。高いところは涼しいのだろうか。

これぐらい高いところなら涼しいのであろうか。
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この本を書いている現在は清の同治庚午年(1870)ですが、
英人以綢綾作気球、内蔵煙焔、乗其気以凌空、能昇二万数千尺。
英人、綢綾を以て気球を作り、内に煙焔を蔵して、その気に乗じて以て空を凌ぎ、よく二万数千尺に昇る。
イギリス人は、ちりめんやあやぎぬを繋ぎ合わせて気球を作った。この球の中に煙や炎(に熱せられた空気)を入れ込んで、大気に乗っかって空にあがり、ついに二万数千尺(≒一万メートル)の高さまで上昇したのである。
すごいですね。
昔法蘭西与澳地利相攻、法人以大繩繋球昇空中、観敵形勢、由是多獲勝仗。
昔、法蘭西と澳地利と相攻むるに、法人、大縄を以て球を繋ぎて空中に昇り、敵の形勢を観て、これにより多く勝仗を獲たり。
むかし(18世紀終わりごろ)、「ほうらんせい」(フランス)と「おうちり」(オーストリア)が攻撃し合ったことがあったが、この時、フランスの人たちは大きな縄で空中に昇っていく球を繋いで、上空から敵の状況を確認し、これによって何度も勝利の儀式を行うことができたのである。
近又以此為戯。
近く、またこれを以て戯れと為す。
最近では、また、人集めのアトラクションとしても気球を使っているという。
その際のこと、
内蔵多人、纔昇六十尺、適遇颶風。吹断縄索、球則随風而去。
内に多くの人を蔵して、わずかに六十尺に昇るに、たまたま颶風に遇いて、縄索を吹断し、球すなわち風に随いて去れり。
多くの人を載せて、ようやく20メートルほど昇ったとき、たまたま突風が吹いてきて地上に止めていたロープを切断してしまい、気球は風に乗って飛び去ってしまったのだ。
著者は「球の内側に人を乗せる」と誤解しているような気がしますが、上の記述から行くと球の内側は煙と炎なので入れないはずです。うーん。おそらく現物を見ずに書物の上での知識しかないのでしょう・・・。しばらく、球の下に人を乗せるゴンドラが引っ付いている、という形態を想像して話を続けます。
所過山川城郭、風走雲連、皆不識何処。
過ぐるところの山川城郭、風走り雲連なり、みな何処なるかを識らず。
飛び過ぎていく途中の山や川、都市や城など、風は強く雲が覆い、いったいどこなのかわからなかった。
球中人驚悸特甚。以針刺小孔。気既洩而球亦漸下、然猶恐其堕於山尖、溺於海澨。
球中の人驚悸すること特に甚だし。針を以て小孔を刺す。気既に洩れて球また漸く下り、然るになおその山尖に堕ち、海澨に溺るるを恐る。
球に乗っている人が一番驚きびっくりした。針を使って気球に小さな穴を開け、そこからガスが洩れてやっと気球は下がり始めたが、それでも山の頂に落ちてしまうのではないか、あるいは海岸に落ちて溺死するのではないかと心配された。
至次日下午、球落於日耳曼国地。由高致遠、蓋一日夜已去数千里也。
次日の下午に至り、球、日耳曼国の地に落つ。高きより遠きを致し、蓋し一日夜に已に数千里を去れるなり。
次の日の午後になって、気球はやっと「じつじまん」(ゲルマン)国の領域に落ちた。高いところからだったので随分遠くまで行ったのであり、二十四時間の間に数千里(1000キロ以上)も移動していたのであった。
たいへんな技術です。だが、
雨蒼氏曰、凡西人之所能、華人早已能之。然而大巧者拙、其所講求、不踰礼義。
雨蒼氏(著者の自称)曰く、およそ西人の能くするところは、華人早くすでにこれを能くす。然れども大巧者は拙、その講求するところ、礼義に踰えざるなり。
わたしが思うに、西洋人のできることは、たいてい我が中華のひとは先にそれをやっているのである。ただし、大いに巧みなる者はへたくそに見える、と「老子」にも言うとおりで、我々の議論し追求するところは、伝統の礼の概念からは越えていこうとはしなかったのである。
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清・毛祥麟「墨余録」巻十六より。気球の上は太陽に近いから暑いんでしょうね。地上だからこれぐらいで済んでいるのでしょう。
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