7月20日 〇〇と煙は高いところに昇る

随風而去(風に随いて去る)(「墨余録」)

今日は無茶苦茶暑かった。高いところは涼しいのだろうか。

これぐらい高いところなら涼しいのであろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本を書いている現在は清の同治庚午年(1870)ですが、

英人以綢綾作気球、内蔵煙焔、乗其気以凌空、能昇二万数千尺。

すごいですね。

昔法蘭西与澳地利相攻、法人以大繩繋球昇空中、観敵形勢、由是多獲勝仗。

近又以此為戯。

その際のこと、

内蔵多人、纔昇六十尺、適遇颶風。吹断縄索、球則随風而去。

著者は「球の内側に人を乗せる」と誤解しているような気がしますが、上の記述から行くと球の内側は煙と炎なので入れないはずです。うーん。おそらく現物を見ずに書物の上での知識しかないのでしょう・・・。しばらく、球の下に人を乗せるゴンドラが引っ付いている、という形態を想像して話を続けます。

所過山川城郭、風走雲連、皆不識何処。

球中人驚悸特甚。以針刺小孔。気既洩而球亦漸下、然猶恐其堕於山尖、溺於海澨。

至次日下午、球落於日耳曼国地。由高致遠、蓋一日夜已去数千里也。

たいへんな技術です。だが、

雨蒼氏曰、凡西人之所能、華人早已能之。然而大巧者拙、其所講求、不踰礼義。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清・毛祥麟「墨余録」巻十六より。気球の上は太陽に近いから暑いんでしょうね。地上だからこれぐらいで済んでいるのでしょう。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す