好機不再至(好機再びは至らず)(「送洋行諸君序」)
円安なのに海外に行くとは怪しからん?いいこと?

梅雨明けして食欲減退だが、今日も腹苦しい。なぜこんなに食うのか。いや、食ってしまうのか。
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昔者、米国夫蘭克麟氏之入仏国、言行慥慥、風彩四射。仏人仰為神人来。
昔者(むかし)、米国・夫蘭克麟氏の仏国に入るに、言行慥慥(ぞうぞう)とし、風彩四射す。仏人仰ぎて神人来たれりと爲す。
夫蘭克麟? 仏人と神人? など、いろいろ想像できておもしろいですね。しかし、夫蘭克麟は「フランクリン」、仏人は「フランス人」だと聞くとがっかりです。「慥慥」はマジメそうなようす。
むかし(百年ぐらい)、アメリカ独立戦争中に、フランクリンがフランスに(援助を求めて)やってきたとき、その言葉や行動は篤実であり、風情や顔色は四方に光を射出するほどであったから、フランス人は仰ぎ見て「神のような人が来た!」と言い合った。
此時英米勝敗未決、而能致大援、以興無前之宏業。是善不失我也。
この時、英米の勝敗いまだ決せず、しかるに能く大援を致し、以て無前の宏業を興す。これ、善く我を失わざるなり。
この時点ではまだ英米の独立戦争の勝敗は明らかでなかった。その中で、(フランクリンは)莫大な援助を得ることができ、歴史上無いほどの大きな仕事が出来たのである。これは、よくぞ(他国においても)自分を見失わなかった、ということができよう。
ほう。そうですか。
魯国彼得帝之遊列国、厭宴饗、擯浮華、専注意于実用、遂能致無比之強大。是善不拘我者也。
魯国の彼得帝の列国に遊ぶに、宴饗を厭い、浮華を擯(しりぞ)け、専ら実用に意を注きて、遂に能く無比の強大を致す。これ、善く我に拘わらざる者なり。
ロシア国のペートル帝が列強の国々を歴訪したときは、宴会を嫌がり、浮わついた華麗な事業を退け、実用になることにだけ注意したので、遂にはあのように比べようもない強大な国を作ることができたのである。これは、よくぞ自分にこだわらなかった、ということができよう。
今、諸君練達事務、或習熟欧書。此行也、才学進明、為益於吾邦、固不須言。
今、諸君は事務に練達し、あるいは欧書に習熟す。この行や、才学進み明らかに、吾が邦に益を為すこと、もとより言を須(ま)たず。
今、これから海外に行く諸君は、欧米流の事務に練達した有能くんや、ヨーロッパの本を学習してきた知識人くんばかりだ。今回の旅によって才能も学問も進み明らかになり、わが国に利益をもたらすことは、まったくコトバで言う必要もなかろう。
然而壮遊不可忽。好機不再至。素冀諸君之更審所以立我、体用両得、不使二傑者擅美於一方也。
然れども壮游は忽せにすべからず。好機は再びは至らず。素(そ)の冀(ねが)うは、諸君の更に我を立つ所以を審らかにし、体用両得して、二傑をして一方に美を擅(ほしい)ままにせしめざることなり。
しかしながら、盛んなる旅はいい加減に過ごしてはならんし、よい機会はもう一回来ることはないぞ。わたくし素(自分の名前)が願うのは、諸君が今以上に、我々が自立していられる手法を審らかにして、本質的にも作用上でもプラスして、上記の二人のすごいやつ(フランクリンとベートル)に名声を独り占めさせることがないようになってほしい(やつらの上になってほしい)ということである。
というわけで、
若夫職務、則大警視至剛之精神、前行之経歴、翼以諸君之穎敏、素知無難為者又悪著剩舌於其間哉。
夫(か)の職務のごときは、則ち大警視の至剛の精神、前行の経歴に、翼(たす)くるに諸君の穎敏を以てすれば、素知る、為し難きもの無く、また悪(いずく)にかその間に剩舌を著せんか。
今回の職務なんかは、大警視さまの無茶苦茶強い心とこれまでの経験があり、それを賢くて素早い諸君らが助けるのであるから、わたし素は難しいことは何も無いことを知っている。何かこれからのことに要らんことを言って何を付け加えようというのか。
そうですか。大警視はヤバそうな精神力横溢の人なので放っておいてもいいのですが、諸君はちゃんとやってきてくれるだろうか。
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本朝・阪谷朗盧「送洋行諸君序」(洋行の諸君を送るの序)より(「本朝名家詩文」。大警視・川路利良(龍川先生)一行がフランスに行くのを送る詩会を開いたが、その時の詩を集めた詩集の序文、という趣旨になっています。史実では川路大警視はこの渡仏中に・・・。朗盧・阪谷素(そ)は備中のひと、興譲館主宰。明治十四年没、六十歳。大塩中齋の弟子だった、というのだから、天保は遠くなりにけり、であったでしょう。
事務に練達して外書も読めるやつが外遊するとは、できるやつがどんどんできるようになるんであって格差社会です。
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