7月15日 お盆の中日やでー。東京では

師爺胆小(師爺胆小なり)(「鸝砭軒質言」)

むかしはよかった。

いずれわしも来てみたりして。

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清の時代、うちのおやじが初めて北京に出てきたころ、当時の輔国将軍・禄智さまの家で、家塾の先生をしていた。まだ清の初めころの武官の家ですから、質実剛健で細かいことにはあまり気にしない家風であった。

晩課散、倦甚思寐、俄見灯自走入室。

しかし、

若有人持之者。

(誰かが持って入って行ったのだろう・・・)

と思いながら部屋に入ったところ―――

既而烟壺、眼鏡等物皆蠕蠕然動、窗前晩香玉一瓶倒植空中、水不滴。

「あわわ」

大駭呼童、童復大譁。

騒ぎを聞きつけて、将軍が自ら出てみえて(このあたり現代の清朝の貴族ではありえない行動だが)、笑っておっしゃった、

無恐。此我仙爺作祟耳。

「はあ?」

「今晩はほかの部屋で休みなされ」

別啓精舎舎公。

明日、具黍詣空室祈曰、仙爺勿復爾。師爺南辺人、胆小也。

「師爺」は塾の先生のことです。

と。

空中聞笑声、後遂寂。

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清・戴蓮芬「鸝砭軒質言」巻一より。少し昔はこんな暢気な時代だったんです。そういえば、今日は東京のお盆だと思いますが、わしが初めて東京に出てきた四十年前は、まだお盆になると町中が行事してました。あっという間に新自由主義の国になって、ご先祖さまも自己責任で往来せよ、と共助や公助の無い町になってしまったように思います。

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