師爺胆小(師爺胆小なり)(「鸝砭軒質言」)
むかしはよかった。

いずれわしも来てみたりして。
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清の時代、うちのおやじが初めて北京に出てきたころ、当時の輔国将軍・禄智さまの家で、家塾の先生をしていた。まだ清の初めころの武官の家ですから、質実剛健で細かいことにはあまり気にしない家風であった。
晩課散、倦甚思寐、俄見灯自走入室。
晩課散じ、倦むこと甚だしく寐ぬるを思うに、俄かに灯の自ら走りて室に入るを見る。
夜の授業も終わり、ずいぶん疲れてしまって早く寝ようと自室に戻ってきたところ、ふと、灯火がひとりでに空中を走って、部屋に入っていくのを見た。
しかし、
若有人持之者。
人のこれを持する者有るがごとし。
誰かが持って移動しているような動きである。
(誰かが持って入って行ったのだろう・・・)
と思いながら部屋に入ったところ―――
既而烟壺、眼鏡等物皆蠕蠕然動、窗前晩香玉一瓶倒植空中、水不滴。
既にして烟壺、眼鏡等の物みな蠕蠕然として動き、窗前の晩香玉の一瓶、空中に倒植するも水滴らず。
いつの間にか、灰皿やメガネといったものがすべてじわりじわりと動き、窗際にあった晩香玉製の花瓶が空中にさかさまに浮かんでいたが、水は一滴もこぼれていなかった。
「あわわ」
大駭呼童、童復大譁。
大いに駭きて童を呼ぶに、童また大いに譁(さわ)ぐ。
たいへん驚いて、下僕を呼んだが、下僕もまたたいへん騒ぎ立てた。
騒ぎを聞きつけて、将軍が自ら出てみえて(このあたり現代の清朝の貴族ではありえない行動だが)、笑っておっしゃった、
無恐。此我仙爺作祟耳。
恐るる無かれ。これ我が仙爺の祟りを作せるのみ。
「怖がってはいかんよ。これはうちの「不思議じいさま」が、祟っているだけじゃ」
「はあ?」
「今晩はほかの部屋で休みなされ」
別啓精舎舎公。
別に精舎を啓いて公を舎せしむ。
別棟をあけて、おやじを泊まらせた。
明日、具黍詣空室祈曰、仙爺勿復爾。師爺南辺人、胆小也。
明日、黍を具えて空室に詣りて禱りて曰く、「仙爺(せんや)また爾(しか)する勿れ。師爺(しや)南辺の人、胆小さきなり」と。
「師爺」は塾の先生のことです。
翌日、キビをお供えしてもとの部屋の方で法事を行い、家人たちは祈って言った、
「不思議じいさま、もう二度とこんなことはしないでくだされ。塾の先生は南国の出身者ですから、キモが小さく、度胸が無いんでございます」
と。
空中聞笑声、後遂寂。
空中に笑声を聞き、後ついに寂たり。
空中に笑い声を聞いたような気がした。その後は、特になにごとも無かった。
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清・戴蓮芬「鸝砭軒質言」巻一より。少し昔はこんな暢気な時代だったんです。そういえば、今日は東京のお盆だと思いますが、わしが初めて東京に出てきた四十年前は、まだお盆になると町中が行事してました。あっという間に新自由主義の国になって、ご先祖さまも自己責任で往来せよ、と共助や公助の無い町になってしまったように思います。
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