7月12日 今日もどこかで怖ろしい予兆が

天兆其戒(天兆それ戒しむ)(「草木子」)

後からしか気づかないかも知れないので、とりあえずどんなことでも予兆ではないかと疑ってみることが必要だ。

こんなクレージなのを食べると気持ちよくなって天兆に気づくかも。

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元の末、至正癸巳年(1353)春三月、

月食太白。

現代なら「ああそうですか」で済むことですが、むかしの人は現代人のように優れていなかったので、要らんことを考えた。

「これは戦乱になるぞ」

実際、

是時江淮群寇起。

・徐寿輝がすでに湖北に「天完」を建国。

・張士誠がすでに江蘇・高郵を本拠に「周」を建国。

・韓林児が劉福通に担がれて、河南・開封に入っていた。(この集団の中に、陳友諒や朱元璋がいる。)

この情勢を克服すべく、元末の権力者であった丞相の脱脱(トト)は

統大師四十萬出征。声勢赫然、始攻高郵城、未下。

・・・この時、北京の順帝に、もう一人の丞相・亜麻(アマー)がこんなことを告げた。

天下怨脱脱。貶之、可不煩兵而定。

「そうか」

順帝は、

遂詔散其兵而竄之。

脱脱はこの通知を受け取ると、周囲の反対にも関わらず、命令どおりに軍を解散してしまった。(この理由はいまだに謎とされています。肝冷斎はイヤになっただけではないかと思いますが)

戦地にある軍を突然、組織的な撤退の指示も、補給も無しに解体してしまったのですから、それで終わりというわけにはいかない。

師遂大潰、而為盗有。天下之事、遂不可復為矣。

後亜麻慮脱脱再入相、矯詔鴆殺之。後一年、東南州郡多陥、其言不験、始杖而貶死。

だが、後の祭りだったのである。

ところで、順帝が丞相・脱脱を解任する詔書を発出した日、

端明殿忽傾仄如倒状。天兆其戒、卒不之悟。悲夫。

元朝之亡、蓋決於此。

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元・葉子奇「草木子」巻三上より。予兆だけならいつでもあります。今ももう気づいていないといけないのかも知れないのですが。

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