天兆其戒(天兆それ戒しむ)(「草木子」)
後からしか気づかないかも知れないので、とりあえずどんなことでも予兆ではないかと疑ってみることが必要だ。

こんなクレージなのを食べると気持ちよくなって天兆に気づくかも。
・・・・・・・・・・・・・・・
元の末、至正癸巳年(1353)春三月、
月食太白。
月、太白を食す。
月が金星を隠した。
現代なら「ああそうですか」で済むことですが、むかしの人は現代人のように優れていなかったので、要らんことを考えた。
「これは戦乱になるぞ」
実際、
是時江淮群寇起。
この時、江淮に群寇起これり。
この時期、長江や淮水のあたり(江南地方)には多くの反乱が起こっていたのである。
・徐寿輝がすでに湖北に「天完」を建国。
・張士誠がすでに江蘇・高郵を本拠に「周」を建国。
・韓林児が劉福通に担がれて、河南・開封に入っていた。(この集団の中に、陳友諒や朱元璋がいる。)
この情勢を克服すべく、元末の権力者であった丞相の脱脱(トト)は
統大師四十萬出征。声勢赫然、始攻高郵城、未下。
大師四十万を統べて出征す。声勢赫然として、始め高郵城を攻むるも、いまだ下らず。
元の総力を結集した四十万の大軍を率いて江南地方に出征した。勢力も評判もあかあかと輝く如く盛んで、まずは張士誠の高郵城を攻める。張士誠軍も激しく抵抗し、いまだ勝敗は明らかでなかった。
・・・この時、北京の順帝に、もう一人の丞相・亜麻(アマー)がこんなことを告げた。
天下怨脱脱。貶之、可不煩兵而定。
天下、脱脱を怨めり。これを貶(おと)せば、兵を煩わさずして定まらん。
「陛下、天下のひとびとは脱脱(トト)のやつを憎んでいるのです。やつを解任すれば、軍事動員などせずに反乱は治まりますぞ(くっくっく)」
「そうか」
順帝は、
遂詔散其兵而竄之。
遂に詔してその兵を散じ、これを竄す。
なんと、詔を発して、軍を解散すること、丞相・脱脱を解任することを通知したのであった。
脱脱はこの通知を受け取ると、周囲の反対にも関わらず、命令どおりに軍を解散してしまった。(この理由はいまだに謎とされています。肝冷斎はイヤになっただけではないかと思いますが)
戦地にある軍を突然、組織的な撤退の指示も、補給も無しに解体してしまったのですから、それで終わりというわけにはいかない。
師遂大潰、而為盗有。天下之事、遂不可復為矣。
師遂に大潰し、而して盗と為るも有り。天下の事は、遂にまた為すべからざるなり。
元軍四十万は大潰滅し、中にはそのまま反乱軍になってしまった者もあった。元の支配は、これ以降もうどうしようも無くなったのである。
後亜麻慮脱脱再入相、矯詔鴆殺之。後一年、東南州郡多陥、其言不験、始杖而貶死。
後、亜麻は脱脱の再び入相するを慮り、詔を矯めてこれを鴆殺す。後一年、東南の州郡多く陥いり、その言験せず、始めて杖して貶死せしめたり。
その後、アマーはトトが北京に戻ってまた丞相となることを恐れて、皇帝の命令を替えて、トトを毒殺してしまった。さらに一年経ったころ、東南方面の町や村はどんどん反乱軍のものになってしまい、(トトを殺せば反乱は治まるという)アマーのコトバはウソだとばれた。ここにおいて皇帝は、アマーを杖で打ち、位を落として殺してしまった。
だが、後の祭りだったのである。
ところで、順帝が丞相・脱脱を解任する詔書を発出した日、
端明殿忽傾仄如倒状。天兆其戒、卒不之悟。悲夫。
端明殿たちまち傾仄して倒るる状の如し。天兆それ戒しむるも、ついにこれを悟らず。悲しいかな。
宮中の正殿である端明殿が突然傾き、倒れそうになった。天が(宮殿が傾くという)しるしを下して警戒させようとしても、とうとうそのことを理解しなかったのだ。悲しいなあ。
元朝之亡、蓋決於此。
元朝の亡ぶ、けだしここに決せり。
元帝国の滅亡は、要するにこの時決まったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・
元・葉子奇「草木子」巻三上より。予兆だけならいつでもあります。今ももう気づいていないといけないのかも知れないのですが。
コメントを残す