三者並作(三者並びに作(おこ)る)(「続漢書」)
ああもうおしまいじゃ。・・・ただし、わしよりおまえさんたちが先かも。

三匹寄ってもカッパの知恵だ。何か起こるかも。
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後漢・桓帝の延熹九年(166)、
済北平原河水清。
済北の平原にて河水清む。
山東・済州の北の平野部で、黄河の水が澄んだことが確認された。
もしかしたら古代のカッパのせいだったかも知れませんが、
「めでたいことですのう」「太平ですなあ」「為政者の徳のおかげでしょうなあ」
と、清流派を弾圧して権力を保持していた外戚や宦官たちは、知識人たちに政権を称賛する上書を求めた。これによって思想統制を図ろうとしたのである。
もちろん阿諛追従の上書ばかりだったのですが、直言で名高い襄楷が「河清」をことほぐ上書をしてきたので、予想もしていなかった権力者たちは大いに喜んだ。
読んでみました。
春秋注記未有河清、而今有之。
春秋に注して「いまだ河の清むことあらず」と記すに、今、これ有り。
「春秋」の注釈には、「有史以来、黄河が清んだことはない」と書いてあるのに、今回、このことが起こりました。
緯書(まともなことの書いてある権威ある古典を「経」といい、うそっぽいことが書いてあるけど「経」を補うと思われるものを「緯」という。経糸と緯糸とみなしたのである)である「易緯乾鑿度」なる書物によれば、
上天将降嘉応、河水先清。
上天まさに嘉応を降さんとして、河水先ず清む。
天が、(国が治まっているので、それに感応して)よい気候条件などを降そうとするときは、黄河の水がまず清むのである。
という。
また、「易経」とは違った体系を持つ「京房易伝」にも、
河水清、天下平。
河水清めば、天下平らぐ。
黄河の水が澄んだら、天下は太平。
とございます。まことにめでたい。
・・・はずなのですが、
今、天垂翼、地吐妖、民厲疫。三者並作而有河清。
今、天は翼を垂れ、地は妖を吐き、民は厲疫す。三者並びに作(お)こるも河清めり。
現状をご覧ください。天は(晴れあがるかと思いきや)翼を垂れたように星は光らず、大地は(実りをあげるかと思いきや)あちこちで妖怪たちを生育し、人民は流行り病に苦しんでいます。この三つが並行して起こっているのに、天下太平のしるし、黄河が清んだとはこれは如何なることにござろうぞ。
つらつら思うに、
河者諸侯之相、清者陽明之徵。豈独諸侯有窺京師也。
河なるものは諸侯の相、清なるものは陽明の徵。あに独り諸侯の京師を窺うあるのみならんや。
黄河は、実は(帝国全体ではなく)その地域を支配する諸侯を占うものではないでしょうか。「清む」というのは、明るくあたたかなことが始まる予兆でしょう。(つまり帝国全体ではなく、諸侯が明るくなる、ということです。)諸侯が首都・洛陽進出を狙っている―――狙っているだけでは済まないのではありませんか。
「どうしてこんな不吉なことばかり言うのじゃ」「あいつは空気を読まないのか」
と不評でした。
翌年、桓帝は崩御され、従兄弟の子に当たる解瀆亭侯・劉宏が呼び出されて即位した。ひとびとはこの予兆であったかとウワサした。
これが霊帝で、その在位中に黄巾の乱が起こり、さしもの漢帝国も滅亡へ転がり落ちていくのでございました。
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晋・司馬彪「続漢書」より(「天中記」巻九所引)。誰か、取り巻きたちの言っていることは間違いで、「今はもう危ないんだよ」と教えてやってくださいよ。誰に? いや、そういう人たくさんいるでしょう。
なお、「続漢書」は今は完本として遺っていないそうなんですが、「志」の部分は「後漢書」(本紀と列伝だけで「志」が無い)とセットになってほぼ現存しています。
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