7月11日 今日は会合のお手伝い、パワポ作業進まず

三者並作(三者並びに作(おこ)る)(「続漢書」)

ああもうおしまいじゃ。・・・ただし、わしよりおまえさんたちが先かも。

三匹寄ってもカッパの知恵だ。何か起こるかも。

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後漢・桓帝の延熹九年(166)、

済北平原河水清。

もしかしたら古代のカッパのせいだったかも知れませんが、
「めでたいことですのう」「太平ですなあ」「為政者の徳のおかげでしょうなあ」
と、清流派を弾圧して権力を保持していた外戚や宦官たちは、知識人たちに政権を称賛する上書を求めた。これによって思想統制を図ろうとしたのである。

もちろん阿諛追従の上書ばかりだったのですが、直言で名高い襄楷が「河清」をことほぐ上書をしてきたので、予想もしていなかった権力者たちは大いに喜んだ。

読んでみました。

春秋注記未有河清、而今有之。

緯書(まともなことの書いてある権威ある古典を「経」といい、うそっぽいことが書いてあるけど「経」を補うと思われるものを「緯」という。経糸と緯糸とみなしたのである)である「易緯乾鑿度」なる書物によれば、

上天将降嘉応、河水先清。

という。

また、「易経」とは違った体系を持つ「京房易伝」にも、

河水清、天下平。

とございます。まことにめでたい。

・・・はずなのですが、

今、天垂翼、地吐妖、民厲疫。三者並作而有河清。

つらつら思うに、

河者諸侯之相、清者陽明之徵。豈独諸侯有窺京師也。

「どうしてこんな不吉なことばかり言うのじゃ」「あいつは空気を読まないのか」
と不評でした。

翌年、桓帝は崩御され、従兄弟の子に当たる解瀆亭侯・劉宏が呼び出されて即位した。ひとびとはこの予兆であったかとウワサした。

これが霊帝で、その在位中に黄巾の乱が起こり、さしもの漢帝国も滅亡へ転がり落ちていくのでございました。

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晋・司馬彪「続漢書」より(「天中記」巻九所引)。誰か、取り巻きたちの言っていることは間違いで、「今はもう危ないんだよ」と教えてやってくださいよ。誰に? いや、そういう人たくさんいるでしょう。

なお、「続漢書」は今は完本として遺っていないそうなんですが、「志」の部分は「後漢書」(本紀と列伝だけで「志」が無い)とセットになってほぼ現存しています。

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