7月8日 ネズミだって生き物だ、おれだって・・・

為之赧然(これが為に赧然(たんぜん)たり)(「捕鼠説」)

今日は昼間居眠りできず、夕方は長時間打ち合わせ。眠い。ネコ、ネズミとも能を争うレベルの能力に低下。

ネズミにだって善と悪、能と無能などがいるであろう。

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幕末か明治の初めごろのことですが、

将捕鼠、俗所用天堂地獄、種種之機咸設。

しかし、

猶弗克獲。叱曰蠢之畜、何費圏套為。命童子駆而内諸一室、塞穴隙、使無間。

於是燭蝋煌煌、主人乃索摂其膊、褰裳及帯、手尺箠以入、乱打於八隅。

鼠也兎起鶻落、幾獲復脱、隣人為之攪睡。方惶急、燭滅。

この間に、

鼠逸入褌、歴脇繞出于背。袒未及乳、鼠跳在窗。

「けしからんドウブツめが!」

大喝空拳往撃、欄折傷指、乃喚燭。

「はいはい」

童子点且入、問曰、獲已乎。窗間淋漓者、其蠢畜之血耶。

むむむ。

不対。時鼠去已久。主人尚偏袒以立、気茀然湧於胸間未定。顧梁上復槖槖有声。

「槖槖」(たくたく)はネズミなどがモノを齧る音のオノマトペ。

わしの負けだ。

あるひと、これを聞いて、わしに言った、

物各有能、不可相冒。佃当問奴、織当問婢、捕鼠当問猫。

主人以堂堂八尺之躯、乃欲与猫児争能。其罹傷指之凶也固宜。余為之赧然。

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本朝・土井聱牙「捕鼠説」(岡田正之・佐久節編「本朝名家詩文」所収)。専門家に任せて大人は大まかがいいのじゃ、という趣旨の教訓だと思います。同じ趣旨のお話は漢文に多いが、実際にはネコがそんなに役に立つはずがない。

土井聱牙(ごうが。名・有烙)は伊勢・津藩の儒、齋藤拙堂の弟子。明治13年(1880)に六十四歳で卒している。

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