得車五乗(車五乗を得)(「荘子」)
熱中症アラート発出! 馬車が無いのでは、こんな日に外出などできないでしょう。新札にお目にかかることなどまだまだできますまい。

前近代的な星座の世界には人件費の概念など無く、御者座は永遠に働かされているのだ。
・・・・・・・・・・・・・・
戦国の時代、宋の国に曹商という人があって、
為宋王使秦。
宋王のために秦に使いす。
宋王の命を受けて秦に使者として赴いた。
其往也得車数乗。秦王説之益車百乗。
その往くや車数乗を得たり。秦王これを説(よろこ)びて車百乗を益す。
行くときは(宋王から)馬車数台をもらって、行った。彼と会った秦王は(理由はわかりませんが)お悦びになり、馬車を百台増やしてくれた。
「乗」は「四頭立ての馬車」のことです。
馬車百台(とそれに載せた宝物など)を得て宋に帰って来た曹商は、知者といわれる荘周先生のところに来て、言った。
夫処窮閭扼巷、困窘織履、槁項黄馘者、商之所短也。一悟万乗之主、而従車百乗者、商之所長也。
それ窮閭・扼巷に処りて、困窘(こんきん)して履を織り、槁項・黄馘なるは、商の短しとするところなり。万乗の主を一悟せしめて、従う車百乗なるは、商の長ずるところなり。
(荘子の着ているものなどをじろりと見ながら)「なんというか、場末の路地やら狭い裏町やらに住んで、困窮し苦労して草履を編んで日銭を稼ぎ、枯れ木のような首をし、黄色く汚れた頭をして生きていくのは、この曹商は苦手でしてな。しかし、一万台の馬車を持つ大国の君主に、一度会っただけで感心させ、帰りには百台の馬車を引き連れて来る―――これがこの曹商めの得意なことです。わははははは」
「すごいひとです。すばらしい。こんな人にこそ教えを受けるべきです!ほんとうの賢者だ」
とみなさんは思うかも知れませんが、
「ふーん」
荘子は頷いて、言った。
秦王有病召医。破癕潰痤者得車一乗。
秦王、病い有りて医を召す。癕(よう)を破り痤(ざ)を潰す者は車一乗を得。
「以前、秦王は病気になって、天下に医療の得意な人を求めたことがありました。その時、できものを破って膿を出したり、はれものを潰して癒した者には、馬車一台が与えられたのです」
「ほう」
舐痔者、得車五乗。所治愈下、得車愈多。
痔を舐める者は車五乗を得たり。治するところいよいよ下れば、車を得ることいよいよ多し。
「そして、痔瘻を舐めて癒した者は、馬車を五台与えられた、といいます。つまり、治すところが王さまの体の下品なところになればなるほど、もらえる馬車は多くなったということじゃ。
子豈治其痔邪、何得車多也。子行矣。
子はあにその痔を治せしや、何ぞ車を得ること多きかな。子、行け。
おまえさんは、王さまの痔瘻を癒して差し上げたのか。ずいぶん多くの馬車をもらってきたものじゃな。・・・そういうことじゃから、おまえさん、早く帰りなされ」
王者に気に入られるなどという賤しいことをして、何を喜んでいるのかな?
さて、みなさんは、次のどちら?
①「むむむ、わたしの行為は意味がないというのか」と、悔しがる曹商の顔が目に浮かぶ。
②「あははは、負け惜しみか、荘周」と、嘲笑う曹商の誇らしげな顔が目に浮かぶ。
・・・・・・・・・・・・・・・
「荘子」列禦寇篇より。荘周は経済学的には当たり前のことを言っているだけですよね。しかし、日本では、長いこと、デキモノを潰しても0.2乗、痔を舐めてくれても0,5乗ぐらいの低賃金だったのです。その間にも儲かっていた人がいるのだろうか。いないとしたら、どぶに捨ててしまったのでしょう。
コメントを残す