麺杖逐撃(麺杖にて逐撃す)(「土風録」)
うどん食いたくなってきました。だが夜中はダメだ。

きのこなら夜中でも大丈夫だろうか。「きのこうどん」や「きのごごはん」だったらどうであろうか。引き分けかな。
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「麺杖」というのは、
做麺具、旧有此称。
麺を做(つく)るの具なり、旧よりこの称有りき。
めんを作る時に使う道具である。かなり昔からこの名前がある。
今は清代です。みなさんの現代(日本)では「麺棒」と言ってると思いますが、我々は「麺杖」と呼んでました。そして、この道具、少なくとも十世紀にはすでに「麺杖」と呼ばれていた。
宋の太祖・趙匡胤(在位960~976)がまだ五代・周の部将であったころ、
民間喧言当立為天子。
民間に喧しく、「まさに立ちて天子と為るべし」と言う。
人民たちの間で、「(趙匡胤さまが)間もなく立ち上がって天子さまになられるぞ」とうるさくウワサされていた。
「うーん、うれしいんだけどあまり言われると現体制下ではクビが飛ぶぞ」
太祖密以告家人。
太祖、密かに以て家人に告ぐ。
太祖(まだ趙匡胤ですが)は、家族の者たちに「こんなことを言われてるんだよなあ・・・」とひそかに話した。
「やばいよなあ」
みたいな感じで聞こえたのでしょう、
其姉方在厨、引麺杖逐撃之、曰、大丈夫臨大事、可否当自決、来家恐怖婦女何為。
その姉、まさに厨に在りて、麺杖を引きてこれを逐撃し、曰く、「大丈夫大事に臨んでは可否まさに自ら決すべく、家に来たりて婦女を恐怖せしめて何をか為すか」と。
それを聞いた趙匡胤の姉は、ちょうど台所にいたのだが、麺棒を引っ掴んで趙匡胤を追い回して殴りつけた。
「な、なにするんだ、姉貴!」
「大人のおとこというのは、でかい事をするときには、するべきか、してはならないのか、自分で決めるもんなのではないのかい。家に来て、女こどもを心配させてどうするってんだよ!」
これから見て、「麺杖」というものがあって、いまわれわれが見るように、掴んで人を追いかけまわすに適切なものだったことがわかる。
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清・顧張思「土風録」巻三より。顧張思は字・懐祖、雪亭老人と号す、清代中期、江蘇・太倉の人。「土風録」十八巻は、清の盛世(一番盛んだった時期)である18世紀後半の江南地方の風俗や俗語について、多くの古典を引用しつつ説明してくれた本で、1000件以上の事物が収録されています。完成したのは乾隆五十二年(1787)以前、刊行されたのは嘉慶三年(1798)だそうです。
宋代は麺棒が「おんなのもの」であり、それで人を追いかけまわしたことがわかります。
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