大毒蛇之身(大毒蛇の身)(「新猿楽記」)
漢文というのはこういうものだ、と、ちゃんと学校で教えて欲しいものです。

ここまで怖ろしくはないでニョロン。
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11世紀の中頃でしょうか、西の京の右衛門尉の一家は、妻三人、娘十六人、男八九人、一家を借りて猿楽を見物していた。
第一本妻者、齢既過六十而、紅顔漸衰。夫年者僅及五八而、好色甚盛矣。蓋弱冠奉公之昔、偏耽舅姑之勢徳、長成顧私之今、只悔年齢懸隔。
第一の本の妻(め)なるものは、齢すでに六十を過ぎ、紅顔漸くに衰う。夫の年は僅かに五八に及び、好色甚だ盛んなり。けだし弱冠奉公の昔、ひとえに舅姑の勢徳に耽るも、長成して私の今を顧みるに、ただ年齢の懸隔を悔いるのみ。
第一の本妻というのは、年齢はすでに六十歳を過ぎており、顔の色つやはどんどん衰えてしまっている。夫の右衛門尉の方は5✕8=四十歳になったばかり、好色ではなはだ盛んである。(夫は)つまり、二十歳ぐらいで官庁勤めを始めたころ、この女房の両親、すなわち舅と姑が勢力も財産もあるのに目がくらんだわけで、成長した今をみると、こんな年上の女房をもらわなければ・・・と後悔するばかりであるようだ。
その本妻の姿は、
見首髪、皤皤如朝霜、向面皴、畳畳如暮波。
首髪を見るに、皤皤として朝の霜の如く、面の皴に向かうに、畳畳として暮れの波の如し。
頭の髪を見ると、しろじろとして朝の霜のようである。顔のしわを正面から見ると、重なり合って夕方の波もかくやと思わせる。
対句になってますね。
上下歯欠落、若飼猿頬、左右乳下垂、似夏牛閘。
「閘」字は、ほんとは「甲」でなく「由」なんですが、IMEパッドに字が無いのでこれで代用します。閘は水門のことですが、「甲」が「由」になった文字は、「康煕字典」にも出て来ないので和製ではないかと思いますが「ふぐり」。キンタマです。象形文字っぽいですね。
上下の歯は欠け落ちて、飼い猿の頬のごとく、左右の乳は下垂して、夏牛のふぐりに似たり。
現代語に訳す意義を感じないぐらいよくわかる文章ですが、訳しておきます。
上下の歯は欠け落ちて、(エサをあまりもらっていない)飼われたサルの頬のようにふくらみがない。
左右の乳房はべろーんと垂れて、(やせて露出した)夏のウシのキンタマのようである。
この後、この老妻が夫の愛を繋ぎとめようと、いろんな迷信行為にすがる話が列挙されています。曰く、あわびの神さまを棒で叩く宗教、曰く、鰹節の男根を奉って蠢かす宗教、などなど。
それでも夫の愛は戻らない。
嫉妬瞼如毒蛇之繞乱、忿怒面似悪鬼之睚眦、恋慕涙洗面上之粉、愁嘆之炎焦肝中朱。
嫉妬の瞼は毒蛇の繞乱の如く、忿怒の面は悪鬼の睚眦(がいし)の似く、恋慕の涙は面上の粉を洗いて、愁嘆の炎は肝中の朱を焦がす。
嫉妬に燃えた目は、毒蛇のようにまつわりつき、憤怒の顔はおそろしい鬼のまなじりのようである。恋い慕う涙は顔のおしろいを流してしまい、愁い嘆く心の炎は、肝臓の中にあるという朱色の部分をも焦がしてしまった。
名文ですね。
雖須剃除雪髪、速成比丘尼之形、而猶愛着露命、生作大毒蛇之身。
雪髪を剃除し、速やかに比丘尼の形を成すべきといえども、なお露命に愛着し、生きて大毒蛇の身を作さんとすなり。
雪のように白い髪を剃り除いて、速いところ尼さんになってしまえ、と思われるのだが、それでも露のようなはかない命に固執して、今や生きたまま巨大な毒蛇となりつつあるのである!
ああ怖ろしいではありませんか!
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本朝・藤原明衡「新猿楽記」より。二十代のころに読んで、久しぶりで読んでみるかと繙いたら、もう40年も経っていました。こんなのがあと何十人も出てくるのですから、イヤになります。「これぞまことの王朝文学」というべき趣味の悪さ、しつこさ、猥雑さが溢れた名著。大部分を省略してしまった「迷信行為」のように、当時のいろんな事象をこれでもかこれでもかと書き並べていく「もの尽くし」が印象的です。
本人は、永祚元年(989)、式家藤原氏の山城守敦信の子として生まる。「新猿楽記」のほか、「雲州往来」「本朝文粋」の編著、「続本朝文粋」等に選ばれた漢詩文があります。出雲守など地方官や衛門府の武官、式部少輔などを経て、七十歳で従四位下、文章博士、大学頭に就き、治暦二年(1066)卒。貴族とはいえ、我々人民と紙一重・・・とはさすがに言えませんが、だいぶん中下級です。匿名で書いた「鉄槌先生伝」があり、これは少年時代に読んで感銘を受けた。教科書に載ってないので読んでない人がいるかも知れません。これを紹介しなければ。では次回に。

鉄槌先生も下品でニョロ―ㇽ。
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