如人累善(人の善に累するが如し)(「觚賸」)
年をとって、気づいたり自覚したりすることのないうちに、現世の人たちの感覚からどんどんずれていく感じがしています。めでたいことなのかも知れません。

山陽地方を代表する妖怪たちだ。おめでたそうで、怖ろしさを持とうとか威嚇しようといった志が全く感じられない。
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清のころ、揚州の郢上に、ある人の邸宅があった。その庭に、
有石、苔蘚乍開、繭栗徐湧。察而視之、日有加焉。名為瑞石。
石有り、苔蘚(たいせん)たちまち開き、繭栗徐ろに湧く。察してこれを視るに、日に加うる有り。名づけて瑞石と為す。
石があった。全面にコケが生えているのに、ある日コケの生えていない部分が現れたり、白い繭のようなものや栗のいがいがのようなものが石の表面に浮き出していたりする。それを注意深く観察してみると、毎日毎日少しづつ増えてきていることがわかる。そこで、この石を「めでた石」と名付けた。
この石に感動した人が、これを讃えて言った、
如人累善、惟不覚而常増。似物迎年、非有培而自益。
人の善に累するが如く、覚えずして常に増すのみ。物の年を迎うるに似て、培う有るに有らずして自ずから益す。
善くなろうと志せば、ひとはどんどん善くなってくる。そのように、この石は知らないうちに大きくなる。
芽を出した植物は、邪魔をしなければやがて稔りの時をむかえる。そのように、この石は助けなくてもおのずと増える。
と。
いいコトバではありませんか。
ところで、清初の名臣・錢霏玉さまは、もと浙江・呉興の出身で、お父上のお墓もそこにあったが、
地極褊小、棺後有石如筍、止高尺許。
地極めて褊小にして、棺の後に石の筍の如き有り、高さ尺許に止まる。
墓地はたいへん狭く細長くて、棺を埋めた背後にタケノコのような石があった。その高さは40センチぐらいであった。
霏玉官日尊、石亦漸長。至山東巡撫罷帰、是石高已八尺、亦可謂瑞石矣。
霏玉の官日に尊く、石また漸くに長ず。山東巡撫に至りて罷めて帰るに、この石高さすでに八尺、また瑞石と謂うべきなり。
霏玉さまの官位がどんどん高くなるにつれて、この石もまただんだんと成長した。山東の行政長官にまでなられてお辞めになって帰郷してきたときには、この石の高さはすでに2.4メートルになっていたのだった。これもまた「めでた石」というべきであろう。
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清・鈕琇「觚賸」続篇巻四より。どんどん善くなっていく人はいいですが、どんどん肥ってきたりどんどん弱ってくるなどは困ります。
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