6月28日 どんどん現実世界と乖離していく

如人累善(人の善に累するが如し)(「觚賸」)

年をとって、気づいたり自覚したりすることのないうちに、現世の人たちの感覚からどんどんずれていく感じがしています。めでたいことなのかも知れません。

山陽地方を代表する妖怪たちだ。おめでたそうで、怖ろしさを持とうとか威嚇しようといった志が全く感じられない。

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清のころ、揚州の郢上に、ある人の邸宅があった。その庭に、

有石、苔蘚乍開、繭栗徐湧。察而視之、日有加焉。名為瑞石。

この石に感動した人が、これを讃えて言った、

如人累善、惟不覚而常増。似物迎年、非有培而自益。

と。

いいコトバではありませんか。

ところで、清初の名臣・錢霏玉さまは、もと浙江・呉興の出身で、お父上のお墓もそこにあったが、

地極褊小、棺後有石如筍、止高尺許。

霏玉官日尊、石亦漸長。至山東巡撫罷帰、是石高已八尺、亦可謂瑞石矣。

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清・鈕琇「觚賸」続篇巻四より。どんどん善くなっていく人はいいですが、どんどん肥ってきたりどんどん弱ってくるなどは困ります。

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