須銭不難(銭を須(もと)むるは難からず)(「東坡志林」)
すばらしい。ごろごろしてても、この自己責任の世界で生きていけるというのだ。

子どもたちのあこがれの職業が変わるかも!
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宋のころ、ある道士が江蘇の道教の聖地・茅山で教えを講じていた。
聴者数百人。
聴者数百人なり。
聴いている人は数百人にも及ぶ盛況であった。
その最中に、突然、
有自外入者。長大肥黒、大罵曰、道士奴、天正熱、聚衆造妖何為。
外より入る者有り。長大にして肥黒、大罵して曰く、「道士奴、天正熱なるに、衆を聚めて妖を造りて何ごとをか為す」と。
外から入ってきた者がある。背が高く、肥って色は黒く、そいつが大声で攻撃的に言うには、
「このくそ道士が! 天気は正常に暖かくなってきているのに、ひとをたくさん集めてきて、なにやら怪し気なことをしおって!」
と。
道士は立ち上がって頭を下げて言った。
「申し訳ございません。
居山養徒、資用乏、不得不爾。
山に居りて徒を養う、資用乏しく、しかせざるを得ざるなり。
この山中で暮らして弟子どもを養っております。どうしてもカネも資源も足りませんので、こんなことをして稼ぐしかないのでございます」
と下手に出たところ、相手は少し怒りが融けたようで、
須銭不難、何至作此。
銭を須(もと)むるは難からず、何ぞこれを作すに至らん。
「金銭を手に入れるなど容易いことではないか。それなのにどうしてこんなことをしているのか」
と言った。
すばらしい。しかしどうすればいいのだろう。NISAかなんかを勧めるのかな。
そのひとは、
取釜竈杵臼之類、得百余斤、以少薬鍛之、皆為銀、乃去。
釜竈杵臼の類を取りて、百余斤を得、少薬を以てこれを鍛うるに、みな銀と為して、すなわち去れり。
道士の庵の中にあるカマ、カマド、キネ、ウスなどを集めさせた。集めると、一斤≒600グラムとして、60キログラム以上になった。なにやら薬を少量これに振りかけてから、熱して叩くと、これらはすべて銀に変化した。作業が終わると、その人はいなくなってしまった。
なんと。カマやカマドも変化したので今夜の飯には困りますが、銀になったのですからぼろ儲けだ。NISAの比ではない。まことにありがたいことである。
後数年、道士復見此人。従一老道士、鬚髪如雪、騎白驢、此人腰挿一騾鞭、従其後。
後数年、道士またこの人を見る。一老道士の鬚髪雪の如く、白驢に騎れるに従い、この人腰に一騾鞭を挿してその後に従えり。
数年後、道士はこの人を再び見かけた。その時は、ヒゲも髪も雪のように真っ白な老道士が白いロバにまたがって行くのに随行していた。その人はロバ用の小さめの鞭を腰に挿して、ロバの後からついていく最中であった。
道士遥望叩頭、欲従之。
道士、遥かに望みて叩頭し、これに従わんと欲す。
道士は、遠いところからこの姿を見て、土下座して頭をがんがんと打ちつけるほどのお辞儀をし、後についていこうとした。
此人指老道士、且揺手作驚畏状。去如飛、少頃即不見。
この人、老道士を指さし、かつ手を揺らして驚き畏るるの状を作す。去ること飛ぶが如く、少頃にして即ち見えずなりき。
相手の人は、こちらに気づくと、ロバに乗ったじじいの道士を指さして、手を振り、それからびっくりしてびびったようなふりをした。そして、飛ぶように素早く去っていき、しばらくすると見えなくなってしまった。
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宋・蘇東坡「志林」巻三より。老道士の正体がわからず、いろいろ想像させるような書き方をしております。ああ、一体だれなのだろうか。大谷かも知れませんよ。
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