到処不可意(到るところ意に可ならず)(「良寛詩集」)
わーい、りょうかんさまだ。

誰にも表裏があるものである。
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子どもたちがやってきた。だが、良寛さまはどす黒い顔をしておられた。ぶつぶつと呟いている。
今年非去年、今時異往時。
今年は去る年にあらず、今時は往ける時に異なれり。
今年はこれまでの年とは違っている。現在は過去の時節とは変わってしまった。
旧友何処去、新知漸已非。
旧友は何れの処にか去り、新知は漸くに已に非なり。
むかしからの友はみんな何処かに行ってしまい(死んだのでしょう)、最近の知り合いはだんだんともう心に適わなくなってきた。
況属高風晩、山川斂光輝。
いわんや高風の晩、山川も光輝を斂(おさ)むるに属(あた)る。
そんな中で、空高く風が吹き、山と川は光を失う夕べの時間になった。
到処不可意、無見不凄其。
到る処、意に可ならず、見るとして凄其(せいき)ならざる無し。
どこもかしこもイヤなことばかり、目につくものはすべておれの心を寒くさせる。
くそ、やつらめ―――と、そこで子どもたちが来ていることに気づいた良寛、
「おお、子どもたちがのう」
と突然にこにこして別の詩をうたい始めた。
日日日日又日日、閒伴児童送此身。
日日、日日、又日日、そぞろに児童を伴いてこの身を送る。
毎日、毎日、また毎日、ひまに任せて子どもたちと一緒に日々を送っております。
袖裏毬子両三箇、無能飽酔太平春。
袖裏の毬子、両三箇と、無能に飽酔す太平の春。
袖に入れた二つ三つのまりをもてあそんで、何もできないのに毎日腹いっぱいになって太平の春に暮らしておりますのじゃ。
ああ、いい人だなあ。
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本朝・大愚良寛「良寛詩集」より。陰の顔を見られないように、良寛さんは手毬を使って子どもたちと遊んだのであった。肝冷斎は夕方の会議で結局観タマに行けなかったので、どす黒い顔になってほんとの性格がバレてしまったかも知れません。
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