燭下散籌(燭下に籌(ちゅう)を散ず)(「世説新語」)
標題はあらゆる五七五につけられる下の句として、小林一茶先生が考えてくれたもの。おカネはすばらしいものです。親や子よりも大切だ。そのカネを税金として持ち去っていくとは・・・。

〇府、オオカミ、経〇連などに気をつけよう!最近ではクマもキケンだ。カッパや小豆洗いなどは実害無し。
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晋の時代、竹林の七賢という一群の人たちがいましたが、その中に、司徒(大臣)にまでなった王戎もいた。
王戎倹吝。其従子婚、与一単衣。後更責之。
王戎倹吝なり。その従子の婚するに、一単衣を与う。後、さらにこれを責む。
王戎はケチであった。甥っ子が結婚した際に、(貴族なのだが)祝儀には薄い着物一枚をくれただけだった。しかも、しばらくすると、その代金を請求してきた。
王戎已貴且富。区宅僮牧、膏田水碓之属、洛下無比。
王戎すでに貴かつ富む。区宅・僮牧、膏田・水碓の属、洛下に比(くら)ぶ無し。
王戎は司徒となり、十分に身分も貴く、財産も得た。宅地や屋敷、使用人や家畜、実りのいい田んぼや水車小屋の類の保有量は、首都・洛陽にも並ぶ者がいないほどであった。
そうなってからも、
契疏鞅掌、毎与夫人、燭下散籌、算計。
契疏鞅掌し、つねに夫人と燭下に籌(ちゅう)を散じて算計す。
「契疏」は契約書、「鞅掌」は「鞅(背負う)掌(ささげもつ)して走り回る=業務に多忙である」という意味です。「籌」(ちゅう)は計算用の棒。例えば一を示す棒、五を示す棒、十を示す棒があり、これらを用いて足し算・引き算を行う。
借金の証文をチェックするに忙しく、毎晩、おくさんと二人で、ろうそくの灯の下で、計算棒を並べながら財産を計算していた。
また、
王戎有好李。常売之恐人得其種、恒鑚其核。
王戎に好李有り。常にこれを売るに人のその種を得んことを恐れ、恒にその核を鑚す。
「鑚」は「(錐などで)穴をあける」。
王戎の家にはよいスモモがあった。収穫するとそれを売りだしていたが、人がそのタネを得てスモモを育てることを恐れて、いつも錐で実の奥のタネに穴を空け、(タネを殺してから)売っていた。
王戎女適裴頠。貸銭数万。
王戎の女、裴頠(はいき)に適(ゆ)く。貸銭数万なり。
王戎の娘は、清談の名手として知られた裴頠のところに嫁に行った。この時、娘に数万銭を贈った。
娘の方は嫁資にもらったぐらいに思っていたのだが、
女帰、戎色不悦。女遽還銭、乃釈然。
女帰するに、戎の色悦ばず。女にわかに銭を還すに、すなわち釈然たり。
娘が里帰りしてきたときに、王戎はたいへん機嫌が悪そうであった。娘は(もしかしたら、と)気づいて、もらったつもりだったお金(の一部)を還して(借金だということを確認して)みたところ、とつぜん、怒りが融けてにこにこしはじめた。
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南朝宋・劉義慶「世説新語」倹嗇第二十九より。竹林で遊んでいるように見えてカネもうけのことばかりを考えていたとは、さすがは賢者です。自己責任主義国家思想のもとでは、こういうひとをこそもっと学校で教えるべき・・・いや、東洋の昔の人のこと教えても、子どもたちのためにはならないでしょう。
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