6月23日 明日は暑いみたいです。出勤ムリかも

或云神僲(或いは云う神仙なりと)(「後漢書」)

神仙はしごとしない(と思います)。

神仙がさぼっていても、おれたちは勝手に罠にかかってしまうぜ!

・・・・・・・・・・・・・・・・

後漢の矯慎、字・仲彦は長安近郊の茂陵のひとである。

少好黄老、隠遁山谷。因穴為室、仰慕松喬導引之術。

博学を以て名の聞こえた馬融、清廉にして正直で有名だった蘇章といった人たちが、つねに矯慎を朝廷に推挙しており、毎年推薦状の第一番目には彼の名前を書いていたという。

汝南の名士・呉蒼が手紙を書いて、矯慎にぜひ出仕して世の中の役に立って欲しい、と懇願したが、

不答。

年七十余、竟不肯娶。後忽帰家、自言死日、及期果卒。

これだけでもすばらしいのですが、さらに、

後人有見慎於敦煌者、故前世異之、或云神僊焉。

すばらしい。

ところで、矯慎の同郷に馬瑶というひとがいて、彼は

隠於汧山、以兎罝為事。

所居俗化、百姓美之、号馬牧先生焉。

こちらもいいですね。何もしなくても周りがどんどんよくなってくるのですから、毎日何もせずに暮らしてればいいのです。「無為にして化す」わけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「後漢書」巻八十三「逸民列伝」より。日曜の夜です。さすがのみなさんも、明日からの平日の「表の世界」への不安と恐怖から逃れようと、黄帝や老子の書を学んでおられることでしょう。金曜の夕方はあんなに楽しかったのに、なんでまた平日が来てしまうのか・・・。一足先に敦煌で待ってますよー。

「無為にして化す」ことについては、「老子」五十七章に曰く、

夫天下多忌諱而民弥貧、人多利器国家滋昏、民多技巧奇物滋起、法令弥彰盗賊多有。

プリミティブな言い方で、許認可やスマホや原発や、あるいは地域ネコ餌やり禁止条例などによる弊害が予見されています。わたしなどオロカ者は、この章を読むたびに、賢者のコトバが人間社会の本質を突いていることに驚かされて、いつも背中がゾクゾクします。

故聖人云、我無為而民自化、我好静而民自正、我無事而民自富、我無欲而民自樸。

↑眠いけどがんばって引用してみました。実に深いコトバですが、月曜日になると、「ふーん、それで」と言うしかないですよね、みなさん。むにゃむにゃ。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す