或云神僲(或いは云う神仙なりと)(「後漢書」)
神仙はしごとしない(と思います)。

神仙がさぼっていても、おれたちは勝手に罠にかかってしまうぜ!
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後漢の矯慎、字・仲彦は長安近郊の茂陵のひとである。
少好黄老、隠遁山谷。因穴為室、仰慕松喬導引之術。
少より黄老を好み、山谷に隠遁す。穴に因りて室と為し、松・喬の導引の術を仰慕す。
若いころから黄帝・老子の学を好んで、山中の谷に隠棲してしまった。洞穴を家にして、超古代の赤松子や古代の王喬といった不老長生・空中浮遊を行った人たちの呼吸法に基づいた秘術にあこがれていた。
博学を以て名の聞こえた馬融、清廉にして正直で有名だった蘇章といった人たちが、つねに矯慎を朝廷に推挙しており、毎年推薦状の第一番目には彼の名前を書いていたという。
汝南の名士・呉蒼が手紙を書いて、矯慎にぜひ出仕して世の中の役に立って欲しい、と懇願したが、
不答。
答えず。
返事もしなかった。
年七十余、竟不肯娶。後忽帰家、自言死日、及期果卒。
年七十余、ついに肯えて娶らず。後たちまち家に帰り、自ら死日を言い、期に及びて果たして卒す。
七十何歳になって、とうとう女房も持たなかったが、突然実家に帰ってきて、自分の死ぬ日を予言し、その時になったら確かに死んだ。
これだけでもすばらしいのですが、さらに、
後人有見慎於敦煌者、故前世異之、或云神僊焉。
後人、慎を敦煌に見る者有り、故に前世これを異とし、或いは「神僊」なりと云えり。
その後、ある人が敦煌の街で矯慎を見たという。このため、それ以前の人生は別だったのだとも言い、あるひとは彼は「神仙」になったのだと言った。
すばらしい。
ところで、矯慎の同郷に馬瑶というひとがいて、彼は
隠於汧山、以兎罝為事。
汧山に隠れ、兎罝(としょ)を以て事と為す。
汧山に隠棲して、罠を仕掛けてウサギを獲るのをシゴトにしていた。
所居俗化、百姓美之、号馬牧先生焉。
居るところ、俗化し、百姓これを美として、「馬牧先生」と号せり。
彼が住んでいると、その周囲のひとびとも純朴ないい人になっていくので、その土地が住みよくなった。それで、ひとびとは彼を讃えて、「人間を飼いならす馬先生」と呼んだ。
こちらもいいですね。何もしなくても周りがどんどんよくなってくるのですから、毎日何もせずに暮らしてればいいのです。「無為にして化す」わけです。
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「後漢書」巻八十三「逸民列伝」より。日曜の夜です。さすがのみなさんも、明日からの平日の「表の世界」への不安と恐怖から逃れようと、黄帝や老子の書を学んでおられることでしょう。金曜の夕方はあんなに楽しかったのに、なんでまた平日が来てしまうのか・・・。一足先に敦煌で待ってますよー。
「無為にして化す」ことについては、「老子」五十七章に曰く、
夫天下多忌諱而民弥貧、人多利器国家滋昏、民多技巧奇物滋起、法令弥彰盗賊多有。
それ、天下に忌諱(きき)多くして民いよいよ貧しく、人に利器多くして国家いよいよ昏(くら)く、手見に技巧多くして奇物いよいよ起こり、法令いよいよ彰らかにして盗賊多く有り。
ほれ。天下にしてはならぬことを多く設けると、人民はそれに応じて貧しくなるぞ。人間が便利な道具を多く持つと、国家はそれに応じて先行きを見通せなくなるぞ。人民に技術が多く伝わると、手に負えないことがそれに応じて起こってくるぞ。法令がどんどん明確かつ詳細になれば、法を犯すものたちがそれに応じて増えてくるぞ。
プリミティブな言い方で、許認可やスマホや原発や、あるいは地域ネコ餌やり禁止条例などによる弊害が予見されています。わたしなどオロカ者は、この章を読むたびに、賢者のコトバが人間社会の本質を突いていることに驚かされて、いつも背中がゾクゾクします。
故聖人云、我無為而民自化、我好静而民自正、我無事而民自富、我無欲而民自樸。
故に聖人云う、我、為すこと無くして民自ずから化し、我、静を好みて民自ずから正しく、我、事とする無くして民自ずから富み、我、欲する無くして民自ずから樸(ぼく)なり、と。
それで、聖人は言った、
「わしが何もしないでいると人民たちは勝手によい心になった。わしがじっとしているのを好んでいると人民たちは勝手に正しくなった。わしが仕事をしないでいると人民たちは勝手に豊かになった。わしが何の欲望も持たずにいると人民たちは勝手に質朴になったんじゃ」
↑眠いけどがんばって引用してみました。実に深いコトバですが、月曜日になると、「ふーん、それで」と言うしかないですよね、みなさん。むにゃむにゃ。
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