6月22日 物忘れひどく大塊と一体化しつつある

飄然付大塊(飄然として大塊に付す)(「袁中郎詩集」)

みなさんいつもいろいろありがとう。

妖怪なれどもやる気なし。

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久しぶりでいいの見つけました。

是官不垂紳、是農不秉耒、是儒不吾伊、是隠不蒿莱。

田舎の知識人として普通に暮らしているんです。

是貴着荷芰、是賤宛冠佩、是静非杜門、是講非教誨。

そして、

是釈長鬢鬚、是仙擁眉黛。

生活をしております。うっしっし。いいとこどりですね。

倐而枯寂林、倐而喧囂闠。

「倐」は「速い」「突然に」。

そして、

逢花即命歌、遇酒輒呼簺。

一身等軽雲、飄然付大塊。

そろそろ大塊に任せて消えていこう・・・と思うのです。みなさんも「早く行け」と思っているかも知れません。しかし、もう少しいようかなあ、と思ったりもします。他の人もそんな感じで現世でまだうろうろしているんだろうなあ。今日も夕方の弁当は美味しかったしなあ。

試問空飛禽、澄潭影何在。曠哉龍屈伸、頽焉方外内。

前半は、「鳥の影が水に落ちる。鳥は影を残すつもりはなく、水は影を映すつもりがない。鳥飛び去れば影は残らない」という禅語があるらしく、それを踏まえているそうです。

結論。

下恵本介和、夷逸乃清廃。

この二人は「論語」微子篇に出てくる「逸民」の中から拾ってきて、自分の目指すスタイルとして掲げたのです。

「論語」にはどう出てくるかと言いますと、

逸民、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連。

実際どんな事績のあった人だったか、というのは古来いろいろ注釈もあるところなのですが、ここは孔子の評価だけ読んでみます。

子曰、不降其志、不辱其身、伯夷・叔斉与。

謂柳下恵・少連、降志辱身矣。言中倫、行中慮。其斯而已矣。

謂虞中・夷逸、隠居放言、身中清、廃中権。我則異於是。無可無不可。

朱張については評価もされていません。( ;∀;)

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明・袁宏道「人日自笑」(人日(正月七日)に自ら笑う)(「袁中郎詩集」所収)。「かふいふ人にわたしはなりたい」を付けるとわかりやすいのではないかと思います。「なったらいかんよ」という教えかも知れません。

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