逸我以老(我を逸するに老を以てす)(「経鉏堂雑誌」)
夏至、かつ満月の一日も終わりました。これからは右肩下がりだ。

何にせよ、ムリをしないように気を付けよう。
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造物労我以生、逸我以老。
造物、我を労するに生を以てし、我を逸するに老を以てす。
世界の根源者(=「天」)は、われわれを苦労させるために人生を与え、われわれを安楽にするために老年を与えたのである。
ほうほう。
それゆえ、
少年不勤、是不知労也。年老奔競、是不知逸也。
少年にして勤めざるは、これ労を知らざるなり。年老いて奔競するは、これ逸を知らざるなり。
若いくせにシゴトに精を出さないのは、苦労が天から与えられたのを知らないということであり、年老いてから走り回って人と争うのは、安楽が天から与えられたのを知らないということである。
シゴトは家族を養ったりおカネを儲けたり自己発現したり(さらに経〇連を儲けさせたり)するためにあるのではなく、苦労するためにあるのです。上司や取引先に不合理・不効率なシゴトをさせられ、人生をすり減らす―――そのために働いているのですから、不合理・不効率なシゴトはムダではない。働く目的そのものだ・・・ホントかな?
しかし、年老いてからは働いてはいけない。
天命我佚、而我自労以取困辱、豈非逆天乎。
天、我に佚を命ずるに、我自ら労して以て困辱を取るは、あに天に逆らうに非ずや。
天がわしに安逸にしろと命じているのに、自分の方から苦労して、困惑したり屈辱を受けたりするとは、天に逆らうことになるのを知らないのか。
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宋・倪思「経鉏堂雑誌」より。わたくしは若いころにはシゴトに精を出さずに、天に逆らうようなことをしてしまったかも知れません。反省します。反省して、年老いてからは天に逆らうようなことはしません。安楽しようっと。うっしっし。
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