6月20日 ホントに人間の方が主人なのだろうか

未嘗蓄狸(いまだ嘗て狸を蓄わえず)(「宣室志」)

心温まる物語だ。

おいらたちはかなり利己的なんでちゅよ。

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唐の宝応年間(762~763)、洛陽に李某というひとが住んでいた。

其世不好殺、故家未嘗蓄狸。

「狸」(り)はネコのことです。

所以宥鼠之死也。

ネコはネズミもセミもゴ〇ブリもコロして食べてしまいますからね。危険です。

李某が亡くなってから、

迨其孫亦能世祖父意。

孫の時代ですから、九世紀の初めごろでしょうか、

一日、李氏大集其親友、会食於堂上。

理由は書いてないのですが、結婚式とか長寿祝いなど、めでたいことがあったのでしょう。

そこへ、

家僮驚異、告於李氏。

下男が言うには、

門外有群鼠数百、倶人立。以前足相鼓、如甚喜状。

「なんじゃと? そんなことがあるものか」

「あるんです。とにかく、見に来てください」

というので、

李氏親友乃空堂而縦観。

「やや! 本当じゃ」「不思議だ」「ひひひ、かわいいのう」

という声を聞いて、何人か残って酒食を漁っていたものたちも、見逃してはならじと席を離れて門に向かった。

人去且尽、堂忽摧圯。

其家無一傷者。堂既摧而群鼠亦去。

悲夫。

何が悲しいのだろうか。

鼠固微物也、尚能識恩而知報。況人乎。

そうなっていないから悲しいんですね。

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唐・張讀「宣室志」巻三より。久しぶりで唐代の小説を読む。近世以降の人間の知恵が入ってないので、何だかわからないけど爽やかな読後感があります。人間と自然がまだ大らかに交感しあえる時代だったのでしょう。

ネズミたちはもしかしたら、

「ごめんなちゃい、堂の柱、おいらたちがほとんど食ってしまいまちたでチュー」
「もうすぐ崩れるので、許してチュー」
「恩を仇を返すけどごめんでチュー」

と言いに来ていて、ほんとに堂が崩れたので

「うわー、かんべんしてチュー」

と言いながら逃げ散っていった・・・だけかも知れませんが、そんな邪推をするのは後世のさかしら心であろう。

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