6月調査報告(仙台南部)

6月15日(土)・・・厳しいノルマの間を縫って、広瀬川の南、長町周辺の調査を行いました。広瀬川の北(仙台城下町方面)は古代には川や湿地で、長町周辺が最初に開発された地域のようです。

〇北目城跡 ・・・ 伊達政宗が関ケ原時に対上杉で築いた平城。発掘調査では堀切の複雑さが特徴的らしいです。現状では「矢来」などの城郭地名が残るほかには遺構等はないようです。

道路わきに説明板があります。実際の城郭はここから西南方向に広がっていた模様。

〇郡山官衙遺跡 ・・・ 七世紀の官衙(第一期)及び最初の陸奥国府(第二期)の二つの官衙遺跡が重なっています。第二期官衙に付置された郡山廃寺跡も付近にあります。八世紀に入ると、大和朝廷はさらに北に進んで多賀に多賀城と陸奥国府、多賀廃寺が建設されることになります。それまでの陸奥支配の中心地です。

ここは第一期官衙の西南端あたりで、第二期の多賀廃寺跡です。国史跡の指定地は住宅街になっていますが、かなり広い。

このあたりが遺跡中心地。建物跡なども確認されています。

〇遠見塚古墳 ・・・ 広瀬川を渡って国道四号線沿いにあります。東北第五位の前方後円墳。4世紀というので、かなり古い。

測量実修みたいなのをしてて、気軽には昇れませんでした。最終的には昇りましたが。

〇若林古城跡 ・・・ 伊達政宗の隠居城。政宗死後には廃城になりました。明治には仙台収治監となり、現在は仙台刑務所。

隠棲後の政宗は年一回ぐらいしか仙台城には行かなかったらしいです。若手に任せていたのでしょう。

〇法領寺古墳 ・・・ 高校の敷地内にあり、不法侵入はできません。

七世紀の円墳で、この地域の指導的首長のものと想定されているようです。

〇陸奥国分寺跡・薬師堂 ・・・ 近くに白山神社や准胝観音堂もあります。ここまで来ると楽天モバイルパーク宮城も近い。

国分寺の復元施設です。左手の方に展示スペースもあって、貞観地震の復興に関する説明板が充実。三代実録によれば京都から派遣されて長期に赴任していた復興担当の役人がいたんだそうです。来て勉強してみるもんですね。

この薬師堂は慶長年間のもの(県重文)。左右のこま犬(お寺ですがいるんです)が古拙でいい味出しています。昨年ここに来たとき、弱っているネコがいたのですが、その時は「ネコにえさやらないでください」と書かれた看板があったのに、今回無くなっていたので、やつはもういないのでしょう。今年見たらハトのエサは売っているのでネコはダメでハトはいい、という思想のようです。

准胝観音堂。句碑がたくさん建っています。

6月16日(日) ・・・ 午後のノルマ前に調査しまっせ。

〇長町地底ミュージアム ・・・ 二万年前の氷河期の新石器時代人の宿営後が出た(湿地で遺されていたらしい)ので、そのまま保存してミュージアムにしました。

「氷河期の森」の中にあります。

エントランスがそのまま保存遺跡になっています。地面が白くなっているのは、保存開始後数十年で地表に結晶化した地中塩分とのこと。

 所用を果たした後、また広瀬川を渡って、長町の町中を調べる。

〇橋姫神社 ・・・ 広瀬川にかかる廣瀬橋を作る際に、人柱となった長者の娘を祀っているそうです。

奥州街道沿いです。なお、廣瀬橋は、明治期に日本初のコンクリート橋が架橋された。

十六夜観音さま。神々しい光になっているのはカメラの性能のせいだと思いますが。。。

今回はここまで。いろいろ勉強になりました。

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