6月1日(土)~2日(日) ・・・ もともとは山川さやかさんの個展を見て、それから那覇セルラー球場で九州地区都市対抗野球大会代表決定戦を見ようと思って来たのだが、雨で順延になったので、仕方なく近所の那覇市小禄近辺を調査。
〇森口公園周辺 ・・・ 那覇市内にこんな神さびたところがあるんです。
・後原(くしばる)ヒージャー小(ぐゎ)

この左手の崖の上が森口公園ですが、こちら(国道側)からはあがれないようです。

むいぐち(森口)ガー。この裏手にあがりたいんですが、あがれないみたいです。

高地を大きく回り込んで、南側に出ます。小禄のノロ殿内(どぅんち)。小禄ノロは今でもこの裏手の家だと思うんですが、ノロ業務を果たしているという。

ノロ殿内の横の「神道」をあがっていくと、「ハワイ移民館」の横の空き地に、高良隣徳さんの顕彰碑と胸像があった。隣徳は小禄の生まれで、明治はじめの思想家、政治家。東京からに帰ってきて教育、民権運動などに従事した沖縄の先覚者の一人です。

この間の道を登っていくと、石がたくさん並べられた崖地に出ます。ここが「びじん」と書いてあるのですが、「びじゅるさま」(賓頭盧様。ただし沖縄では石神)です。白い建物の右手の繁みに昇ると・・・

ここが森口公園の拝所。複数のガーのほか、森口の「殿」(正面の祠。とぅん)があります。

ここからさらに北に尾根をたどると、上の方のガーの背後の高地に入っていきます。そこが、小禄の後(くし)の御嶽。ここから入っていきます。
この先、ほんとに神威がつよく、雨の強くなり、カメラも電池切れ。失礼があるみたいなのでひきあげてきました。那覇市内のどまんなかですが・・・。
翌日も雨で試合は午後になる、と言ってたんですが結局順延。その間に、昨日回れなかった森口公園の東側の道をたどってみます。

これは班ノ井(ハンガー)。ほかに「パンガー」「九班ガー」もありました。

シマダガー(島田井)。小禄には二十近いガーがあったそうですが、現在もムラガー(村民が集まって作業や会話などを行う広場機能を持った泉)の形態を遺している唯一のガーだそうです。木の下に長方形の水たまりがあって、その周囲で水汲みや体を洗ったりできたとのこと。このあたりは「島田」と言われる水田地帯だったそうです。沖縄戦で跡形も無くなったそうです。

小禄の真玉御嶽。森口が「後」(くし)で、こちらが「前」(めー)なのだと思います。各地の御嶽のお通しになっており、また「小禄神社」にもなっています。五年振りぐらいで来ました。

鏡水の御嶽公園。明治以降の村建てのようですが、東(あがり)御嶽、西(イリ)御嶽、ガー神などがあって、三十年ぐらい村のあちこちから集めてきたのだと思います。

駅に近い「カテラムイ」。今は送電塔の立つ丘の公園ですが、海軍寿山陣地。壕が残っています。

モノレール高架をくぐって那覇港に面した赤嶺高地の崖面に立つ住吉神社。この高地(左手)は長く米軍に接収され、返還後、高地の上は公園と住宅になっています。この神社側からは道は無いのですが、もとは公園のあたりが赤嶺の至聖地だったと思われ、こちらの崖からロープを使って森を抜けて昇れる斜面があります。後で「ハブに気をつけろ」と言われましたが、那覇市内は大丈夫、と思っているのですが、この直後、首里の末吉公園では出たそうです。コワいですねー。

公園からは米軍区域を含めて那覇港を見下ろすことができます。美空ひばりの「花浮(はなふ)の港」の記念碑があり、この前に立つと自動で三番まで歌ってくれます。戦後間もなくの復興のころ、生きる勇気をもらったそうです。今でもひばりさんの歌はすばらしいです。わしもまだまだ・・・。

もとは高地にあったのではないかと思うのですが、赤嶺御嶽です。高地からモノレールの方に降りて来た水道山の麓にあります。

こちらは同じ山の赤嶺御嶽の逆側にある安次嶺御嶽。こちらはもとからこの山にあって、水道山になったときに開発されてここに整備されたのではないか・・・と思います。ただ、その筋のひとによるとかなり霊力(せじ)が強いとかなんとか。
今回はここまで。なお、二日順延されてしまった代表決定戦、結局、沖縄電力が八年振りだかで東京大会に進出決定。夏の都市対抗に来ます。16日にチェックしたら開幕戦でトヨタに当たるらしい。あわわ。
コメントを残す