女子知有我(女子、我有るを知る)(「後漢書」)
とはいえ、賢者がいつまでも世間におもねっているわけにはいきますまい。ひいっひっひっひ。

父の日です。父は永遠に悲愴である(萩原朔太郎)。あんまり隠棲していると親父に叱られるかも知れんぞ。
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後漢の韓康は字を伯休、あるいは恬休ともいい、京兆(長安)覇陵の人である。
常采薬名山、売於長安市、口不二価、三十余年。
常に薬を名山に采(と)り、長安の市に売るに、口に二価せざること三十余年なり。
薬草を有名な山々に採りに行き、これを長安の市場で売るのを日常としていた。三十年余りにわたって、掛値をしないので相手が何を言ってきても最初と同じ値段でしか売らなかった。
つまり最初に高く出て、後で「わかった、しようがないなあ」と言って安い値段で売る、という「二つの値段」をつけなかったのです。
ある時、
有女子従康買薬、康守価不移。
女子有りて康より薬を買わんとするも、康は守価して移さず。
女性のお方が来て、韓康から薬を買おうとして値段の交渉をはじめたが、韓は最初の値段から譲らなかった。
すると、
女子怒。
女子怒る。
女性のお方は怒り出した。
あわわ。そして曰く、
公是韓伯休那。乃不二価乎。
公はこれ韓伯休か。よりて二価せざるか。
「あんたは韓伯休だったりして。だから値段を替えようとしないのね!」
韓康はこの言葉でショックを受けた。誠実な商売をしていても怒られたから、ではなく、
我本欲避名、今小女子皆知有我、何用薬為。
我もと名を避けんと欲するに、今、小女子みな我有るを知る、何ぞ薬を用いて為さんや。
「わしはもともと有名になりたくないから薬屋をして名を隠していたんじゃ。それなのに、今やあんなガキのおんな・・・いや、女性のお方までわしの存在を知っているとは・・・! 薬屋なんかしてて何になるのか」
そうして、
遯入覇陵山中。
覇陵の山中に遯入せり。
覇陵の山地に逃げ込んでしまい、長安には出て来なくなった。
ほんと女性のお方は迷惑だなあ。あ、韓康の観点から、という意味ですよ。あっしじゃございやせん。へへへ。
時の皇帝(桓帝:在位146~168)は、韓康のうわさを聞いて、ぜひ都・洛陽に来て仕官するようお求めになり、覇陵の山中に
以安車聘之。
安車を以てこれを聘す。
「安車」は安らかに乗れる大きな車、の意味です。とりあえず、「レクサス」とか商品名を出すといけないので、「でかい黒塗り」と訳しておきます。
でかい黒塗りの車を遣わして、招請してきた。
使者奉詔。
使者、詔を奉る。
使いの者は、(大臣や地方長官ではなく)皇帝のおことばを伝えた。
皇帝じきじきのお召しでは仕方ありません。
康不得已、乃許諾。辞安車、自乗柴車、冒晨先使者発。
康、已むを得ず、すなわち許諾す。安車を辞し、自ら柴車に乗り、晨を冒して使者に先んじて発す。
「柴車」というのは「柴で作ってある」という意味ではなく、「柴」=薪木にでもするような粗末な車、という意味です。
韓康は仕方なく、とりあえず許諾した。ただ、でかい黒塗りに乗るのは遠慮させてもらい、自分の粗末なボロ車で行くこととし、朝早く、使者がまだ出発の準備もできていないうちに先発した。
山から出て宿場まで来ますと、
亭長以韓徴君当過、方発人牛修道橋。見康柴車幅巾、以為田叟也。
亭長、韓徴君のまさに過ぎんとするを以て、まさに人牛を発して道橋を修む。康の柴車・幅巾なるを見て、以為(おもえ)らく田叟ならん、と。
末端行政をつかさどる宿駅の長が、「皇帝から召された韓なんとかさまがこの地をお通りになるのだぞ」と言って、ひととウシを徴発して、道や橋を修復している最中であった。宿駅長は、韓康が小さな車に乗り、粗末な頭巾をかぶっているだけなのを見て、そこらの田舎のじじいだと思ったようだ。
使奪其牛。
その牛を奪わしむ。
部下に命じて、韓康の車を引いているウシを徴発させた。
「(これは好都合じゃ。)よしよし、わかりましたぞ」
康即釈駕与之。
康、即ち駕を釈きてこれに与う。
韓康は、(にやりと笑い)車からウシを外すと、宿駅長に引き渡した。
そのとき、何やらツノに書きつけて、車を乗り捨てて行ってしまったのである。
有頃、使者至、奪牛翁乃徴君也。
有頃に使者至るに、奪牛の翁すなわち徴君なり。
しばらくして、使者が追い付いてきた。
「粗末な車に乗った老人が来なかったか・・・、あ、この車だ、この車に乗っていた老人は?」
そこで、先ほどウシを奪った相手のじじいが、お召しになられた方であることがわかった。
その時には、その老人・韓康はもうどこかに姿をくらましていた。
使者、欲奏殺亭長。
使者は亭長を殺さんことを奏せんと欲す。
使者は(自分の責任でないことを明らかにするため)、宿駅長を死刑にすることを上奏しようとした。
よく見ると、ウシのツノに何か書いてある。読んでみると、
此自老子与之、亭長何罪。
これ、老子これを与うるなり、亭長何の罪かあらん。
―――このウシは、おいぼれが自分から差し上げたもの、宿駅長どのには何の罪もござらぬよ。
「むむむ」
乃止。
すなわち止む。
そこで、上奏するのを止めた。
康、因中道逃遯、以寿終。
康、因りて中道にて逃遯し、寿を以て終わる。
韓康は、こうして途中から逃げ出して隠棲し、寿命まで生きることができた。
そのあとの後漢末の大混乱に巻き込まれることもなかったのである。
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「後漢書」巻八十三「逸民列伝」より。わしは小女子どもに名前を知られていないので、いまも都会で暮らしているのでございますよ。
いい本の紹介がありましたので紹介しておきます。みなさんも読むといいかも。別にためにはならないかも。
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