6月15日 腹が減っても蓋とるな

如甑蒸飯(甑(こしき)の飯を蒸すが如し)(「朱子語類」)

やはりまずは飯だ。按ずるに、筆は一本、箸は二本、衆寡敵せずと知るべし、と古人(齋藤緑雨先生)曰えり。

ウナギを思えば食も進むというものである。

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「先生、天地(宇宙)の心(思い・志向)とはどのようなものなのでしょうか?」

時は南宋の時代です。先生は答えた。

天地以生物為心。譬如甑蒸飯。気従下面袞到上面、又袞下。只管在裏面袞。便蒸得熟。

「袞」(こん)は「滾」(こん)の意味で使っています。「たぎ・る」。「甑」(そう。こしき)は米を蒸す道具。ほんとは違うけどとりあえず「圧力釜」と訳しておきます。「熟」は「煮る」「煮える」。

巨大な圧力釜なので、

天地只是包許多気在這裏、無出処。袞一番便生一番物。他別無勾当。只是生物、不似人便有許多応接。

「圧力釜」とは別のたとえをすると、

但如磨子相似。只管磨出這物事。

まあ、あとは人間に似ているかな。

人便是小胞、天地便是大胞。人首円象天、足方象地。中間虚包許多生気。

「四角い」のは足首から先の靴を履く部分のことですよ。しかし大地が「四角い」というのは現代人としては納得いきません。むかしの人はオロカだから、
「ああそうですなあ、大地は四角いですなあ」
と頷いたりしていたのでしょうけど。

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「朱子語類」巻五十三より。最後はわれわれ現代の人の方がすぐれていることが明らかになりました。
われわれ現代の人は劣っている東洋のむかしの賢者に学ぶ必要は無いから、毎日テレビやネットを見て情報を消費していよう、と。
経営セミナーなどに行けばさらに賢者になれるようですけど。

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