6月13日 あくなき追及は学問でやるべきだった

可免怨尤(怨尤を免かるべし)(「荊園小語」)

うまく生きていきたいものです。できればもう少し。

毎食このパンぐらいに止めておければ今頃ピーターパンのように身軽だったかも。止めてくれなかった他人のせいだ。

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常有小不快事、是好消息。

若事事趁心、即有大不趁心者在其後。

知此理、可免怨尤。

みなさんは①②どちらがいいですか。

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清・申涵光「荊園小語」より(合山究「清代清言集」(講談社1987)所収)。合山先生の訳では②になってますね。①も捨てがたい。いずれにしてもいい言葉だなあ。

こんなのもありました。(傅山「霜紅龕集」巻三八

得少為足、於学問則小器、於飲食為上智。

むむむ、なんと。少しばかりで満足していればよかったのに、子どものころからあくなき追及をしてしまっていたのです。もちろん学問の方ではなく、飲食の方に。ああこの言葉を子どものころに知っていたら、こんな体形・健康状態(や学識レベル)にはなってなかったであろう。当時まだ子どもですから、自分のせいではなく誰かのせいだと思います。ようし、他人を怨み咎めるぞー。

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