我本無家(我、もと家無し)(「東坡詩集」)
昼間居眠りできなかったので、今PCの前で居眠りしていました。また夜が更けてまいりました。

もとから家が有る人は、でんでんむしであろう。わたしどもはナメクジよりは高等である。
・・・・・・・・・・・・・・・・
大隠住朝市、小隠入丘樊。
丘樊太冷落、朝市太囂喧。
不如作中隠、隠在留司官。
大隠は朝市に隠れ、小隠は丘樊(きゅうはん)に隠る。
丘樊ははなはだ冷落、朝市ははなはだ囂喧(ごうけん)。
如かず、中隠と作りて、隠れて留司の官に在らんには。
すごい隠者は朝廷や市場に隠れている。大したことない隠者が丘のほとりに隠れている。
丘のほとりはたいへん落ちぶれてさびしいが、朝廷や市場はうるさくてかなわない。
中程度の隠者になって、地方都市に待機しているのが一番いいかも。
と唐・白楽天が言っております(「中隠」詩)が、わたしも考えた。
未成小隠聊中隠、可得長間勝暫間。
いまだ小隠と成らず聊か中隠、長間の暫間に勝るを得べし。
まだ丘に隠れる小隠になっておらず、やっと中隠程度でしかないが、
ずっとヒマなのはしばらくヒマなのよりよい、というのは何とかなりそうだ。
我本無家更安住、故郷無此好湖山。
我、もと家無く更にいずくにか住まん、故郷にこの好湖山無し。
わしはもともと家が無いのに、ここからどこに行って暮らそうというのか、
故郷にもここよりいい山や湖は無かったしなあ。
ということで、現状維持しておきます、という詩でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・蘇東坡「六月二十七日、望湖楼酔書五絶」(六月二十七日、望湖楼に酔いて書く五絶)の第五首(「東坡詩集」所収)。まだ六月二十七日にはなっておりません。それに旧暦ですから、まさに一番暑い時節、もうすぐ夏も終わりのころだ。東坡先生は現状維持でいいが、われわれは夏の終わるころまでには住むところを見つけたいものである。
コメントを残す