為人亦苦(人たるもまた苦し)(「右台仙館筆記」)
体重増えすぎて、呼吸するのも苦しいんです。

こんなふうに何でも食べてるわけではないんです。なのに・・・。
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清の末ごろのことですが、福建・杭州の保安橋のほとりに、最近馮なんとかという人が屋敷を買った。
屋外尚有隙地、謀築牆囲之。
屋外なお隙地有り、牆を築きてこれを囲まんことを謀る。
家屋の外に少し空き地があったので、垣根を作って敷地の中に入れてしまおうということになった。
畚挶已具、是夕聞窗外鬼哭声甚悲。
畚挶(ほんきょく)已に具わるに、この夕、窗外に鬼哭の声甚だ悲しきを聞く。
もっこや仕切り板などの用意をすべて整えたところ、その晩、窓の外から、霊鬼が泣く声が聞こえてきた。はなはだ悲しそうであった。
「ああ・・・うう・・・おお・・・」
その泣き声を聞いて、馮家の主人は言った。
鬼哭何為。為鬼誠苦、為人亦未始不苦也。
鬼の哭する、何の為にかせん。鬼たること誠に苦しからんも、人たることもまたいまだ始めより苦しからざるにあらず。
「霊鬼が泣いている。何のためだろうか。霊鬼であることは、まことに苦しいのであろう。だが、人たることもまた、苦しくなかったことなんてないのだ」
と。
その言葉が終わるや、
窗外鬼歎息而去。聞者毛骨悚豎。
窓外の鬼も歎息して去れり。聞く者、毛骨悚豎(しょうじゅ)せり。
「悚豎」とは「悚(おそろ)しくて」毛が「豎(さかだ)つ」こと。
窓の外の霊鬼も「ああ」とため息をついていなくなってしまった。その会話を聞いていた人たちは、(霊鬼への恐怖と人の世界への恐怖から)体中の毛と、さらには骨まで逆さに立つぐらいぞっとした。
ああおそろしかった。
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清・兪樾「右台仙館筆記」巻五より。今日は「時の記念日」だそうですが、時が経てども相も変らぬ人の世の苦悩でございました。
ところで、この霊鬼は何者であったのだろうか。後日談がございます。
次日掘土築牆、於土中得四屍。蓋粤寇陥城時死此者。
次日、土を掘りて牆を築くに、土中に四屍を得たり。けだし、粤寇の城を陥とせる時にここに死せる者なり。
次の日、土を掘って垣を作った。すると、土の中から四体の死体が出てきた。もう白骨化していたが、おそらく、広州賊(太平天国軍)が杭州を落として大虐殺を行ったときに、この場所で死んだ者たちであろう。
乃悟鬼預知明日将為人所掘、惟其毀傷暴露、故先告哀於人也。
すなわち悟る、鬼のあらかじめ明日、人の掘るところと為らんとするを知りて、その毀傷暴露さるを惟(おも)い、故に先に人に哀を告ぐるならんと。
それでわかった。昨夜の霊鬼は、明日になったら人に掘り出されて死体を傷つけられ、地上に放り出されて雨や日にさらされることになる(前提とされていますが、そうされるのがチャイナの霊はすごくイヤらしいんです)のを予測して、先に生きた人にその悲哀を報せに来ていたのだ、と。
四体の関係も、この地との関係もわからなかったが、馮氏の主人は、
為買棺改葬之。後無他異。
ために棺を買いてこれを改葬す。後、他異無し。
その死体のために棺桶を買ってやって、別のところにきちんと埋め直した。その後、特に変わったことはない。
だそうです。めでたしめでたし。ハッピーエンド?でした。森林環境税のからくりも岡本全勝さんのHPでよくわかったし、気持ちよく寝られるぞ。
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